音楽90 〜Begin The Begin | Remember Every Moment

Remember Every Moment

Live your life filled with joy and wonder!
(人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない…。)

自分のiTunesに入っている曲。

Begin The Begin (Live) R.E.M.
4thアルバム「ライフス・リッチ・ページェント」のオープニング・トラック。それまでのR.E.M.は新しい感覚を持ちつつも突き詰めればフォーク・ロック・バンドであったと思うのだが、この曲はフォーク・ロックというにはかなりアグレッシブなサウンドです。全15枚のアルバムを残したR.E.M.の歴史を振り返っても1、2を争う傑作になったこのアルバムで、R.E.M.は充実したオリジナル曲で色々な新しい方向性を打ち出しています。

まずはマイケル・スタイプが歌詞をはっきりと歌うようになったこと。それはこのアルバムをプロデュースしたドン・ゲーマンのアドバイスによるものとされますが、マイケル自身、このアプローチにかなり意識的だったようだ。

最初の2つのR.E.M.のアルバムでは、僕は自分の声をただのもう一つの楽器だと思っていた。それは言葉を使って伝えようとする考えというより、メロディーや声の響きといったものを重視していたんだ。僕はここで過去を修正しようとしているんじゃないよ。僕にとって、この2つのレコード (「マーマー」と「レコニング」) は純朴さという点で信じられないくらい美しい。でも、それは多くを意味していない。もし意味していたとしても、誰も本当には理解しない言葉なんだ。3rdアルバムまでは、僕はこのアプローチが本当に上手くいっていると思ったけど、もうこれ以上は限界だと感じた。だから僕は言葉を使う新しい方法を見つけなければならなかった。僕たちの4枚目のアルバムからは、僕は作詞家として出来る限り明確であるようにしようとしたんだ。
ーマイケル・スタイプ UNCUT 2001年12月号

これはよく言われているように単に「歌詞をはっきり歌う」というより、本質的に歌詞をはっきりした意図をもって書くようになって、よりロック・シンガーらしく歌うように方向転換した、ということだと思う。「ビギン・ザ・ビギン」というのは語呂合わせのようだけど元ネタはコール・ポーターのスタンダード曲「ビギン・ザ・ビギン」。今ではR.E.M.の80年代の曲もポップ・カルチャーに影響を与えていて、特にシングル・カットもされていないこの曲は、アメリカのTVドラマ『グレイズ・アナトミー』のシーズン2のエピソード13「新たなスタート」で使われていました。コール・ポーターの曲では後ろのビギンは「Beguine」で、ラテン系の社交ダンスというかそのために書かれた曲の事なので、マイケルは意識的に何か新しいことをやろうとした事がタイトルからも伝わってきます。このへんはエピソードとしてまあまあよく知られています。

そして「ライフス・リッチ・ページェント」というアルバムのタイトルはピンクパンサーのスピンオフ映画「A Shot In The Dark」のクルーゾー警部のセリフ (それもまた「人生のすばらしい一幕」というものなのだよ) からとられたことも。だから「ビギン・ザ・ビギン」に登場する

Life’s rich demand creates supply in the hands of the powers
生活の豊かな需要は権力者の掌に供給を産む

というラインも、アルバム・タイトルをもじって歌われていると思っているかもしれない。だけど、この部分とその後に鋭いシャウトとギター・リフで続く

Silence means security
沈黙は安全
Silence means approval
沈黙は承認の証

という部分は、実は旧ソヴィエトのプロパガンダ・ポスターからとられているのだ。オリジナルなようでその実引用、というのはその後のR.E.M.の曲やパフォーマンスでは結構あることで、これはパクリというよりも意図的な表現技法とみるべきだろう。ちょうどジョン・レノンが「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のヴァースの歌詞を書いたときデイリーメールの新聞記事を元にしたのに似ている。作詞家&ヴォーカリストとしてのマイケルの新しいアプローチなのだ。



プロデューサーのドン・ゲーマンの功績は、むしろサウンド面での功績が大きいと思う。R.E.M.と同時期に手掛けたジョン・クーガー・メレンキャンプの作品を聴けばむしろよく分かる。それはアメリカのルーツ・ミュージック色の強いサウンドでいながら、かなりクリアな音質だ。オープニングの“Begin The Begin”やそれに続く“These Days”はアグレッシブでエレクトリックなサウンドだけど、“I Believe (朋ちゃんの曲ではありません) ”なんかはテンポは速くても割とアコースティックで、イントロはバンジョーが弾かれ、間奏ではアコーディオンの音がする。ジョン・クーガー・メレンキャンプの曲もそんな感じだから、これはドン・ゲーマンのサウンドなんだろう。もっとも、アメリカ南部出身のR.E.M.というバンドはこういうルーツ・ミュージックに精通しているし、ピーター・バックはギター以外の楽器を弾いて曲を書ける (「ルージング・マイ・リリジョン」がその頂点だ) し、ベースのマイク・ミルズは多彩な楽器を演奏する技量のあるマルチ・プレイヤーで、こういう録音ではこれまで以上に真価を発揮してくるのだ。



「チェリー・ボム」by ジョン・クーガー・メレンキャンプ。ブルースでもフォークでもない。カントリーっぽいけど少し違う。でもアメリカ的な音楽。



サウンドは新しい面が多くても、迷いはまったく感じない。それは“It's The End Of The World”の原型になった“Bad Day”がアウトテイクになり15年以上忘れられるほどマテリアルが豊富かつ強力であったからだろう。遊び心にも満ちていて、アルバム・ジャケットの写真はドラマーのビル・ベリーの太眉のアップを使い、裏ジャケットの曲目リストはミスプリントではなく確信犯で実際とはでたらめに記載しているようなところからもうかがえます。


The Girl From Ipanema Stan Getz & Joan Gilberto
ボサノヴァといえばこの曲。この軽快で垢抜けたおしゃれなリズムと和音のサウンドはジョアン・ジルベルトがギターで編み出し、曲はピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンが作り、歌はジョアンの妻アストラッドが歌っています。

「イパネマ」はボサノヴァ発祥の地ブラジルのリオデジャネイロの海岸で、母親のタバコを買いにやってくる美少女エロイーザの歩く姿から産まれたタイトル&詩です。作詞家のモライスという男は9回結婚しているだけあってインスピレーションは視姦のようなものですが、これを英詩でささやくように軽やかに女性が歌うことで、いやらしい感じがまったくなくなり、爽やかな夏らしい感じだけが残っています。これにスタン・ゲッツのジャズ・サックスをミックスしたのが今もカヴァーされ続けてカフェとかで流れるあの曲というわけです。

「ボサノヴァ」はイギリス風に言うと「ニューウェーブ」に当たる言葉で、サンバに代わる新しい音楽、という意味合いがあるようだ。サウンド的にはジャズとの親和性が高いようですが、スティービー・ワンダーが“You Are The Sunshine Of My Life”でキーボードを使ってボサノヴァ風に曲を作っています。あの曲はもちろんスティービーのソロ曲ですが、最初の歌い出しは謎の男性&女性シンガーが歌っています。無名のシンガーと女性を起用したのは「イパネマの娘」のオマージュなんだろうか?曲の後半は演奏も盛り上げていく曲ですが、歌い方もあくまで抑制された、明らかにR&Bよりもボサノヴァ風のスタイルを採っています。


Paris 1919 John Cale
ルー・リードのヴェルヴェット・アンダーグラウンド解散後のソロ活動が目立ちすぎるために、先にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退してソロ活動を始めたジョン・ケイルのソロ作品はどこか見過ごされがちです。ストゥージズやパティ・スミスのアルバムのプロデューサーとしても名を残すジョン・ケイルのソロ・アルバムからのこの曲は、昔で言えばビートルズの「エリナー・リグビー」、最近ではコールドプレイの“Viva la Vida”路線の曲で、ストリングスをバックに歌い上げます。曲調はかなりポップで、CMとかに使えば少しは話題になりそうな雰囲気の曲です。ストリングスに加えて色を添えるフレンチホルンが、パリっぽい感じを出しています。そのくせ演奏しているのはアメリカのUCLA交響楽団で、ヨーロッパ的な音楽をブライアン・ウィルソン風にやるとこんな感じになるのかな、と思います。



このライブではフル・オーケストラでレコードを完全に再現しています。演奏者がみんな笑顔。ジョン・ケイルも結構いい声してます。


There Goes The Sun Pernice Brothers
ギター・エフェクトの効いた、アメリカのアンダーグラウンド・ロック・バンドらしいロウ・キーなグルーヴの曲です。すばらしいです。


Lucinda Williams Vic Chesnutt
カポ3フレットのギターによる弾き語りによる曲ですがありきたりのフォーク・ソングではなく、ありそうでないような、類型がないけれどもしっくりくる曲です。プロデュースは当時影響力も人気も絶頂のマイケル・スタイプ。不思議と心に響くこの曲はルシンダ・ウィリアムスというアメリカの女性シンガーのことを歌っています (というかこの詩は深くてうまく訳せない) 。ルシンダ・ウィリアムスは70年代からキャリアをスタートさせていますが、その時まではほとんど無名。ヴィック・チェスナットがこの曲を含んだアルバムをリリースした1991年の翌年に、“Passionate Kisses”という曲をメアリー・チェイピン・カーペンターがカバーして大ヒット、グラミー賞ベスト・カントリー・ソングになっています。この突然の大覚醒のようなヒットにヴィック・チェスナットが彼女のことを歌ったことが関係しているのかはもちろんわかりませんが、少なくとも僕はマイケル・スタイプを通してたくさんの名曲を知ることができている。偶然だとは思わない。



アメリカにはこんな女尾崎豊みたいなシンガーがしれーっといたりする。


New York, New York Liza Minnelli
有名にしたのはフランク・シナトラですが、元はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ&ライザ・ミネリ主演の同名映画のテーマ曲。ライザ・ミネリは主演映画「キャバレー」ではアカデミー賞とゴールデングローブ賞主演女優賞をダブル受賞しているほか、ブロードウェイ・ミュージカルでトニー賞を受賞したことがあるように、演技力に加えて歌唱力がすば抜けて高いのだ。母親は「オズの魔法使い」のドロシーを演じたジュディ・ガーランドで、銀幕の世界で活躍するのがあたり前のような素性ですが、そこはアメリカ。日本のような七光りでは一切ないし、本人が魅力的だから最近でも「セックス・アンド・ザ・シティー2」に本人役で出演したりするわけです。

ニューヨークを歌った曲といえば最近ではジェイZの「エンパイア・ステート・・オブ・マインド」ですが、あのジェイZのリリックには明らかにこの「ニューヨーク、ニューヨーク」が下敷きになっています。



まずはこのライブ・ヴァージョンを。アリシア・キーズのパートを歌うのはジェイZのレコード会社ロック・ネイション所属の新人ブリジット・ケリー。イントロは明らかに前回紹介した「ア・ドリーム」のラップで、サンプリングにはっきりとエアロスミスの“Dream On”が使われている。なんか思った通りでうれしいし、こっちの方が原曲より断然カッコイイ。エミネムの「Sing For The Moment」より全然いいけど、カニエ・ウェストはあんな安易なものはやりたくなかったんだろう。

I'm the new Sinatra
俺は新しいシナトラ
and since I made it here
って事は、俺はここ (NY) で成功できたんだから
I can make it anywhere
どこでだってやっていけるのさ

この部分は明らかに、フランク・シナトラの

If I can make it there
もし俺がここで成功できれば
I'll make it anywhere
どこでだってやっていけるだろう
It's up to you
すべてお前しだいさ
New York, New York
ニューヨーク、ニューヨーク

の引用で、ジェイZの巧みさと新しいスタンダードを作ってやろうとした野心を感じさせます。快挙は狙ってやるから価値があるものだと思いますが、このJAY Zは本当に宣言どおりのことをやったのだ。



実際にこの部分を引用したライブ・パフォーマンスがこれ。曲のコーラスは無名の女性シンガーソングライターが書いたものです。インスピレーションは要するに

There's no place like home
やっぱりお家がいちばん

残念ながらサビはアリシアが歌うことになったが、文句はいえないだろう。ジェイZに使われなければ陽の目を見ることはなかったかもしれないのだから。それにあのアリシア・キーズの声。ジェイZよりアリシア・キーズの曲じゃないかと思う人もいるかもしれませんが、アリシアがソロで“Empire State Of Mind 2”を演っているのを聴くと、ジェイZの貢献度がわかります。「ロック・ネイションの歌姫」として期待を集めたブリジット・ケリーが何で成功しなかったか、その理由もなんとなくわかってしまいます。そして、そのアリシア・キーズと比べてオリジナルのライザ・ミネリのレコードの声は凄いということも…。

ところで最近、このブログの更新頻度が落ちているのはたんに仕事 (というか目) 疲れなんだが、僕もスケールは小さいですが「狙って」会社の月間賞をとっています。宣言通りあっさり獲るとは、我ながら強くなったものだ。その見返りは会社のお偉いさんと赤坂で食事をする、というもの。場所柄か、多数の著名人のサインが飾られた場所でしたが、ノーベル賞の山中さんのサインがYamanakaと結構書き慣れていそうなのがなんか意外でした。でも、ノーベル賞の受賞者はノーベル博物館のカフェの椅子にみんなでサインをする習慣があるらしいから、そのために練習したのかもしれない。

「痛みに耐え忍ぶ者 忍者に幸あれ」

という、いかにも調子に乗っている大きなサインも壁にあった。花田勝氏の弟が「感動」的な優勝した時の自分の言葉と店のコンセプトをうまくつなげたと思ったんだろうな…。ちなみにこの店は日本らしい演出で当然のごとく外国人にも人気らしいが、ここは何料理の店なんですかと聞いたら、

創作料理です。

という斬新な答えが返ってきました。


Yours For The Taking The Disciplines
R.E.M.のサポート・ミュージシャンとして「リヴィール」と「アラウンド・ザ・サン」に参加したケン・ストリングフェローがノルウェーのバンドと組んで結成したザ・ディシプリンズ。R.E.M.ではキーボード奏者として参加していたのでそのイメージしかなかったですが、この曲はガレージ・ロックそのもので、リード・ヴォーカルを担当しています。



このセンス、R.E.M.が“Begin The Begin”の頃のような疾走感あるロック・サウンドを展開した「アクセラレイト」に参加しなかったのがもったいない、と思わせる名曲です。

と、ここまでネタ切れの気配もなく書きつづってきましたが、僕のiTunesに入っている曲はもうこれで全部なのでおしまいです。およそ700曲で、そのうちR.E.M.の曲がざっと100曲。そのほかの曲もR.E.M.と親交のあるバンドや優秀な後輩にあたるバンドが多くて、マイナーなようでミーハーな選曲はR.E.M.のフロントマンであるマイケル・スタイプの嗜好によるものがほとんどです。もう解散して4年が経とうとするこの偉大なバンドが僕に与えた影響はとても大きくて、R.E.M.を聴いていなかったら僕はきっと今ほど自信を持って生きることができなかったと思います。だから最後にマイケルがバンドを解散した時の発言を引用します。

賢者はかつてこう言った。「パーティーに出席するのが上手な人は、去るときを心得ているものだ」と。僕たちはとてつもない何かを打ち建てた。僕たちはこんなことをした。そして僕らはいまその場所から去って行く。僕は僕たちのファンがこれが容易な決断ではなかったと理解してくれる事を願っている。でもすべてのものには終わりがある。そして僕らは正しくそれをしたかった。僕等らしいやり方でやりたかったんだ。

僕たちは31年間もR.E.M.でいさせてくれたみんなに感謝しなくてはならない。こうする事を許してくれた人達に僕たちの心の底から感謝をこめて。素晴らしかったと。

他のメンバーのコメントも、最後までロックバンドらしい破天荒な結末なく活動を終えたR.E.M.らしい、素敵な幕引きだったと思いますが、マイケルの発言はどうしても昔覚えた百人一首を思い出させます。

憶良らは今はまからむ子泣くらむそを負ふ母も吾 (わ) を待つらむそ
ー山上憶良

意味は、「私、憶良はもう退出しましょう。家では、今ごろ子供が泣いているでしょう。その子を負っている母もきっと私を待っているでしょう。」というもの。マイケルは俳句の本を出している位だから『万葉集』も知っているかもしれない。

憶良と違って、僕には子供はいない。そのせいか僕は年より若くみられるし、性格も子供っぽい。だけど僕はもうしばらく、多少ロックバンドらしい生き方をしていたい。音楽も今年は魅力的な曲が多いので、また書くかもしれない。