訊かなかったこと | That's where we are

That's where we are

the Church of Broken Pieces
(アメリカ救急医の独り言と二人言)

ベルファストの師匠がメンバーである

ゴルフ・クラブでディナーを

ご馳走になった夜


ゴルフ・クラブはベルファスト市内だが

ダウンタウンから車で20分ほど

少し離れている

 

お酒を飲むのが分かっていたので

師匠はクラブにバスを使って来られ

帰りはタクシーで帰るとおっしゃった

 

私たちのホテルはダウンタウンにある

帰るのにUberを手配すると言うと

師匠は、私の家は途中にあるし

相乗りしてもいいか?とお尋ねに

 

Uberの運転手は、若い男性

途中で、師匠のお家へ寄ってもらっても

良いですか?と聞くと

快く承諾してくれた

 

この運転手さん

随分聞き取りやすい英語だな

と思ったら、イングランドの南部の街

サザンプトン出身だった

 

お酒が入って、ますます陽気に

早口になる師匠のベルファスト訛りの

英語は、時々、夫(米国人)でも

分からない時がある

 

10分ほどの間だが

ジョークをポンポン連発する師匠を

家まで送り届け、ホテルに向かった

(ジョークの半分は分からなかった)

 

「ごめんね、師匠、結構飲んでいたから」

 

嫌味の様なとこは言わなかったが

イギリス人をからかう様なジョークを

師匠はいくつか言っていたので

夫は運転手さんに誤った

 

"He is a character."

運転手さんは苦笑いしていた

 

それにしても、なぜ、イングランドから

ベルファストに?と夫は尋ねた

 

運転手さんは

妻がベルファスト出身なのです

と言った

 

北アイルランド紛争の際

僕はイギリス軍にいて

ベルファストに派遣されたのです

その時、妻と出会いました

 


夫は、ベルファストに来る前に見た

『'71』という映画の話を始めた

北アイルランド紛争(the Troubles)の中

ベルファストへ送られたイギリス軍兵士が

戦闘真っただ中、軍からはぐれてしまう

無事、仲間の元へ帰れるのか?

...というストーリーらしい)

 

結婚して何年かとか

お子さんはいるのとか

奥さんと奥さんの家族の宗教は、とか

こちらから、込み入ったことは

尋ねなかったのだが

 

「今となってはね

あちら側の言い分も解るんですよ」

運転手さんはそう言った

 

「あちら」の言い分

奥さんの家族のことだ

 

運転手さんが英国軍にいた頃

彼が信じるものと相容れない意見を持ち

逆側のグループに属する人達



彼が今どの程度、奥さんの家族から

受け入れられているのか

それとも、まだわだかまりがあるのか



「どちら側も完全に満足はしていない

それでも、平和な日常があることを

望んだ」

妥協を選んで得た努力の結果が

今の平和でカラフルなベルファストなのだ



現在のベルファストを見て

亡くなった義父はどう思うのだろう?


夫が知っている義父は寡黙な人で

ベルファストでのことは

殆ど話さなかったらしい

 

「なんで?訊かなかったの?」

 

私の祖父母は、終戦の際

そして、終戦後もしばらく中国にいた

祖父は早くに亡くなったので

殆ど言葉を交わした覚えがない

祖父が亡くなった後も、夏休みなどには

祖母の家に遊びに行っていたが

祖母は戦争のこと、中国のことは

話さなかった

 

一度だけ、洗濯物をたたみながら

戦後、中国の人たちには

良くしてもらったわよ、とだけ言った



訊かない方が良いこともあるんだよ

夫はそう言う

 


訊いておけば良かった、と私は思う

 

 

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