ディベートの話に戻ります
リンカーン・ダグラスと呼ばれるタイプの
ディベートをしているはずの息子と
そのタイプのディベートの審判員を
しているはずの夫を探して
2階建てのはずなのに、3階建ての様な
だだっ広い高校の校舎をうろついて
ドアに付いている窓越しに
チラッと見えた息子の上半身
立って何やら喋っている
部屋にいるのは息子と
高校生(のはず)の女の子
そして、審判員であろう大人の3人
中に入って息子が何を言っているのか
座って聞きたいのだが
ディベートの真っ最中に親が入ってきたら
子供は焦るに決まっている
二つ奥まった所にある部屋で
夫が審判員をしているディベートも
同じように生徒二人に大人一人
とても途中で入っていける雰囲気ではない
息子がいる部屋のドアの外に
見つからない様に立ったまま
聞き耳を立てる私
なんか、怪しい人のよう...
(結局、よく聞こえなかったが
息子の討議のお題は"Oil fuel subsidy"
(石油発掘のための政府補助金)の是非
真ん前で座って聞いたところで
分からんかもしれん)
ディベートしている生徒はもちろん
審判員も、これ、大変だわ
自分がよく知っている分野が論議の
トピックならまだしも
全然知らない経済とか流通の話とか
そんな話題を肴に突っ込んで離されても
自分の意見をまとめ、考えているうち
討議がどんどん進んじゃいそうだ
2月にも、ディベート・トーナメントがあるので
審判員として来ていただけませんか?と
高校の先生から言って頂いたが
議会ディベートに限ってなら、と
断りをいれようと
廊下でポツンと立ったまま思った
こちらは先生が参考に、と教えて下さった
リンカーン・ダグラス討議のファイナル
黒髪&スーツの生徒が勝ったそうですが
個人的には茶髪&スーツの生徒の方が
落ち着いて話していて良かったと思います
もう視線を上に向け、相手の目を見ていれば
プレゼンのスコアは高かったのではないかと
私が学生のころは、ディベートはもちろん
パブリック・スピーキングのクラスも
なかったのですが
今の日本の学校では教えるのでしょうか?
「国際社会で活躍するには
英語(その他の外国語)が必要」と
かなり前から、そして今でも聞きますが
それよりも、いかに物事を解釈し
自分の意見を組み立て
それを人に理解してもらうため
どう表現するかを教える方が
大切じゃないかしら、と思うのです
いくら「英語が出来る」とはいえど
ネイティブ・スピーカーには敵いませんから
(ネイティブでも、文法がメチャメチャな
人も結構いますが...)
入れ物、ラッピングも大切だけれど
やはり、中に何が入っているかが問題

家族のクリスマス・ギフト、今だ未定
うちの人達、あまり物欲がなくて困る