批判は陰キャのすること?|安倍政権批判を若年層の高支持率から考える | ジョジョの忠義な哲学ッッ!

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御田寺 圭「なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか 「批判する奴は陰キャ」という暗黙の認識」

 

 


という記事がありました。これについて、現政権を批判し、経世済民の政治を目指す観点から改めて考えてみたいと思います。

 

安倍政権を支持する若者は多い

朝日新聞世論調査などで明らかなように、29歳以下の若年層による内閣支持率は高め。

 


先月の全体では不支持52%、支持29%に対し、若年層では支持率44%、不支持35%と逆転、依然として支持が保たれています。

御田寺氏の記事は、その原因について述べているわけですが、なかなかこれまでにない視点で新鮮でした。現政権の緊縮財政・グローバル志向政治を転換するため、経世済民を目指すためにも考えさせられるところが多いものです。

 

御田寺圭氏の記事の要点

ア 若者は安倍総理に「ゆるふわ系おじさん」のイメージを持ち、親しみを抱いている

 

イ 若者の多くは「自分と仲間内だけが大事」という戦略をとっており、自民党の自己責任論的なポリシーと相性が良い

 

ウ 若者にとって政権批判はウザい、「陰キャ」のすることである

 

ア 安倍総理は「ゆるふわ系」

アについてはまあ、純粋にルックスや口調だけ見ると何だか穏やかで優しそうだし、そーゆーイメージもあるか……というところですね。

しかし、このイメージからすると、安倍総理の箸の持ち方などの食事マナーや「云々/でんでん」「立法府の長」の読み違い・言い間違いもマイナスにならない。
若者にとってはむしろ「天然ボケ的親しみやすさ」としてプラスイメージかもしれません。逆に、こういったことを指摘・批判する者に対して、若者たちは反感も持つとも考えられます。

ともあれ、これはこれで政治家としては美味しい(?)キャラ設定。
安藤裕議員もこのイメージ戦略で支持を広げ、プライマリーバランス目標破棄~積極財政転換を強力に進められば……と妄想してしまいますね。

 

イ 若者の人生戦略と自民党のポリシー

① 若者の人生戦略

 

まず、若者の多くは「自分と仲間内だけが大事」という戦略をとっているというところ。

若年層というのは、やはりまだ視野が狭く、自分の手の届く範囲以外のことに興味を抱かないものです。(かく言う私自身もそうでしたからね……)

漫画で例を出すならば、

 

「てめーらが宇宙のどこで何しよーとかまわねー
だが俺の この剣 こいつが届く範囲は 俺の国だ」

 

という『銀魂』の坂田銀時のセリフが名言と感じられたり、

他人の貧しさ、愚かさにつけこみながら大金を稼ぐ『闇金ウシジマくん』が、それでもヒーローとしてギリギリ捉えられたりするのは、

この「自分と仲間だけは大切にする、守り抜く」というスタンスに正当性とリアリティを感じるからだと思います。逆に言えば、それを超えた社会的結び付きには重要性を感じていない、あるいは考えられないということなのでしょう。

 

② 自民党の自己責任論的ポリシー

若者の戦略は、「自民党の自己責任論的なポリシー」と相性が良い。

緊縮財政・小さな政府・グローバル化で社会のセーフティネットが壊されていき、失敗や不幸の責任は全部自分で引っかぶらないといけない……という殺伐とした環境下。せめて「自分と仲間だけは大切にする、守り抜く」ことは切実な願いとなるからです。

とはいえ、それはまるで
「どんどん削られていく砂山の上で誰が落ちずに立っていられるか」ゲームです。
いつ自分と仲間も転落するかわかりません。

本当に自分と仲間を守り抜くつもりなら、「自民党の自己責任論的なポリシー」の転換を図らねばならぬところ、それが広範な支持を得ることにはなっていない。

 

③ 現状、若者の戦略はミクロ的には効率的

逆に「自民党の自己責任論的なポリシー」すなわち、
経済は成長しない、日本は衰退する、政府は国民を保護する余裕がない、
という空気は社会に広がっています。

これを覆すような面倒に取り組むより、ゲームのルールとして受け容れて自分も仲間も生き残る方法を模索する。その方がミクロ的には効率的。だからこそ、支持が広がらないのです。

また、代替案を提示するはずの野党からも、この空気を覆すほどのものは聞こえてこないし、それに乗っかるリスクを冒すより、現状を肯定して生き残りに邁進する方が「前向きでカッコイイ」という心理もありそうです。
(国民民主党やれいわ新選組の努力は評価したいですが、社会の認識としてはまだまだ理解を得られていないということです)

 

ウ 批判はウザい、「陰キャ」

① 「陰キャ」と「コミュ障」

「陰キャ」というのは「陰気なキャラクターの人」で、一般的にクラスや集団の中で楽しく盛り上がれない人のこと。さらに言うと、場の空気に水を差したり、楽しい雰囲気を壊してしまう人をも含まれるでしょう。(私自身、どちらかといえば「陰キャ」ですね……)

また、若年層はこれまで以上に「コミュニケーション能力」を求められる世代で、場の空気を壊すことに対する忌避感が強い。この「コミュ力」に長けていない人は「コミュ障」と呼ばれますが、上の「陰キャ」と重なる部分が大きいと思われます。

 

「コミュ力」と称されるものの測定基準は、コミュニケーションの軋轢、行き違い、齟齬とそれが生み出す気まずい雰囲気を巧妙に避け、会話を円滑に回すことである。逆に、「コミュ障」と呼ばれる人がそう呼ばれるのは、会話がすれ違ったり、お互いの言い分が感情的に対立したりして、それを調整するのに骨が折れるような「面倒臭い」事態を招くからである。

 

 

 

② 「批判ウザい」は安倍政権に有利

気まずい雰囲気を生み出す「批判」というもの自体が、若年層にとって「ウザい」。
ですから、

〇国家行政をがんばっている(ように見える)安倍総理以下、政府を批判するのは「ウザい」「陰キャ」「コミュ障」と受け取られて忌避される

〇政権批判ばかりか、互いに批判(非難?)し合っている野党は嫌われる

ということになります。

もちろん、批判というものは話し合いによって政治を正しく進めて行く、あるいは過った政治を修正する上で欠かせないものです。
この批判それ自体が、単なる非難や罵詈雑言に堕している場合もあるにせよ、忌避される。実に困ったことです。
加えて、政権をとっていれば、とりあえず仕事をがんばっているようには見えますから、「批判ウザい」は安倍総理にとって有利に働きます。支持率も保たれるわけです。

 

若年層も含め、多数派形成のために

はいえ、ア~ウの傾向は若年層のみに当てはまることではないと思います。
アの「安倍総理はゆるふわ系おじさん」はともかく、イ「政治状況は変えられない前提条件、自分と仲間を守ろう」とウ「批判ウザい」は割と多くの人々が持つ感覚でしょう。

では、政権批判によって積極財政/経世済民の政治を実現しようとする者は、どうするのがよいのか。

端的に言えば、「ウザくない批判」を行うこと。
そして「自分と仲間を真に守るには、政治状況を変えねばならない、そしてそれは可能である」と多くの人々に思ってもらうことです。

政権批判ですからある程度「ウザく」なるのは仕方ないとしても、過度に攻撃的にならず、真実を提示し、共に「国家・国民のため」に働くような態度をとる。

民主制ですから、多数派を形成しなければ政治状況は変えられません。すなわち、政治状況を変えられると思ってもらうには、多数派を形成できると思ってもらう必要があります。

政権批判側が互いに細かい部分で「批判」し合って協力できないようでは、政権側の思うツボです。時には議論がヒートアップしてしまうこともあるでしょうが、基本は互いに敬意を払い、細かい点は措いて、例えば「消費税減税」あるいは「プライマリーバランス黒字化目標撤廃」へ集中する。

そんな少年マンガのような、高校球児のような、さわやかなイメージ戦略で進めたらと思う次第です。

 

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