ガタカ |   EMA THE FROG

  EMA THE FROG

    roukodama blog

『ガタカ』(Gattaca)は、1997年アメリカで公開されたSF映画。<NASAが選んだ“現実的な”SF映画>で第1位を獲得した作品。「生まれながらに優れた知能と体力と外見を持った<適正者>と、欠陥のある遺伝子を持ちうる自然出産により産まれた<不適正者>との間で厳格な社会的差別がある近未来(wikipedia)」が舞台ということで、(NASA的に現実的か非現実的かはどうでもいいが)ちょっと前から観たいと思っていた。僕はいま、こういう<適正><不適正>みたいなことにとても興味があるのだ。

で、昨晩見たのだけど、とても面白い作品でした。主人公ヴィンセントの宇宙に対する情熱は、彼が<不適正者>だからこそ生まれた。彼の弟は、緻密な遺伝子操作により“完璧"な状態で生まれた<適正者>だ。図式としては、できの悪い兄と優等生の弟。そしてヴィンセントは宇宙を目指す。<適正者>の中でもエリートしか入社できない宇宙局「ガタカ」に、<適正者>になりすますことで潜入する。彼を突き動かすのは、彼の生まれ持った物語、つまり<潜在的物語>だ。自分の責任の及ばない、自分ではどうしようもなかった、生まれ持ち合わせた物語。彼の<不適正者>の血が、そしてそれに伴う多くの苦しみが、痛みが、妬みが、彼を行動させた。彼は<不適正者>だったからこそ、努力ができた。迷いなく、力強く。

印象深かったのは、彼が<不適正者>だと知ったときの<適正者>アイリーン(ユマ・サーマン)の顔。怯えと嫌悪が混じった顔。あと、やが再会した<適正者>の弟が、<不適正者>でありながらエリート宇宙飛行士として働く兄に対し、取り乱し罵声を浴びせるときの顔。恥にまみれた顔。アイリーンも弟も<適正者>なのに、潜在的物語によって迷いなく行動する(そして行動を続ける)<不適正者>ヴィンセントが怖くて仕方ない。その屈辱感。そして、たぶん、ある種の、羨望。

とても面白かった。

1つだけ言うなら、ヴィンセントを演じたイーサン・ホーク、彼にIDを提供するユージンを演じたジュード・ロウ、その配役を取り替えっこしてみても面白そう。いや違うな。僕はたぶん、イーサン・ホーク演じるユージーンを見てみたいだけなのだ。