ファインディング・ニモで号泣 |   EMA THE FROG

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昨年の終わりに、嫁が『ファインディング・ニモ』をレンタルDVD屋さんで借りてきた。もちろんハンナのために。何しろハンナは、ミッキーを始めとして、スティッチやらプーさんやら白雪姫やら、とにかくディズニー系のキャラクターが大好きなんでね(まあ、ディズニー系以外の、アンパンマンやらしまじろうやらウータンやらケボやらプリキュアなんかも同じく好きなんですけど)。

とにかく、ハンナの為にと借りてきた『ファインディング・ニモ』のはずが、ダイバーにさらわれたニモを探して奮闘するマーリン(お父さん)に、ハンナじゃなく僕と嫁がちょう感情移入。だってさ、右のヒレが生まれつき小さいという障害を持ったニモを、マーリンは男手ひとつで大切に大切に育ててきたんだぜ(なぜニモにはお母さんがいないのか、なぜ兄弟がいないのか、その理由を知ればなおさら切ない)。ニモの一挙手一投足が心配でたまらないマーリンはだから、「お前には無理なんだ。お前には無理なんだ」と、ニモが何かをしようとするたびにそう言って止める。なぜって、心配だから。大好きな息子のことが心配でならないから。当たり前じゃないか。

一方で、ニモはそんな「過保護」なお父さんをちょっと煩わしく思い始めている。そして、学校にまで着いてきて“余計な"世話をやくマーリンへの反発として人間のボートに近づき、ダイバーに捕まってしまうのだ。物語は、マーリンがニモを探して海中を駆けまわる場面と、ダイバーの家の水槽の中で様々な出会いをし、子どもから大人に成長いくニモの場面が並行して進む。子どもを探すお父さんと、お父さんから離れて成長していく子ども、『ファインディング・ニモ』はそんな父子の物語です。

たくさんの仲間の助けを借り、様々な困難を間一髪で乗り越えながら、やがて二匹は感動的な再会を果たす。でも、僕らの涙腺を爆発させたのはこの再会そのものではなく、ニモが発するある言葉だ。再会の安堵も束の間、エンターテイメント作品には必ず用意されている「最後の、最大の試練」が二匹を襲う。漁船の引き網に、魚の群れとともに捕まってしまうのだ。しかしニモは、その試練(網)から逃げ出すどころか、他の魚達を救うためにと自ら危険に突き進んでいく。それを見たマーリンは、ニモがさらわれる前よりもずっとずっと必死に「無理だ!お前には無理だ!」と叫ぶ。やっと再開できたのだ。ニモがさらわれたのは自分がニモをしっかり見ていなかったからなのだ。あいつはヒレが不自由なんだ!他の魚にできることだって、ニモには無理なんだ!俺が守ってやらなければあいつは……

マーリンの叫びに、ニモは振り返り、言う。

「僕、できるよ!」

そして、網の中に、突っ込んで、いくのだ。

……もうここでアウト。涙がブワーです。嫁も同じタイミングで「もう、泣けちゃう」と涙声で呟く。これね、小さな子どもを持つ親で泣かない人いないですよ、きっと。「僕、できるよ!」という単純な言葉が、マーリンの心にいったい如何程の感情を巻き起こしたであろうか。喜怒哀楽が全部同時に立ち上るような、複雑に過ぎる気持ちだっただろう。マーリンの中では、あの悲劇から始まったニモの人生が、そしてそのニモと過ごしてきた自分の人生が、走馬灯のように浮かんだに違いない。マーリンの気持ちを想像すると、じゃなくて、まさに自分がニモを育ててきたマーリンその人になった気持ちで、目のなか涙でいっぱいにしながら観ました。

ということで何と言うか、そういう意味でこれは「子ども向け映画」じゃないってことです。これは明らかに、「子どもを持つ親の為の映画」だよ。