夢を諦めた夜 |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

先週末、夜中。突然僕は、夢を諦めることにしました。

だって30歳だし、子どももいるし、仕事も忙しいし、考えなきゃいけないことは山ほどあるし。そして僕は、夢を諦めることにしたのです。

一瞬、驚くべきことに、身体が浮き上がるんじゃないかというほどの開放感に包まれました。ああこれで!これで俺は自由だ!仕事から帰ってきて、白紙の原稿用紙に向かう恐怖と闘わなくて済むのだ!物語が思うように進まず、吐き気を催すほどの劣等感に襲われなくて済むのだ!僕は仕事に打ち込んで、子どもや奥さんとの時間をたくさん過ごし、彼らの寝静まった後は、好きなだけ戦争ゲームをすればいい!ああこれで。



…これで。


…僕がその夢に費やした時間、それは大袈裟でなく、僕という人間の基本軸となるものでした。夢がなければ、夢に立ち向かっているという自信がなければ、僕は未だに、人の目を真っ直ぐ見ることすらできない、臆病者のままだったでしょう。

結婚したり子どもを育てたり、あるいは会社で責任ある仕事を担当したり、それらが何とかできているのは、大袈裟でなく、決して大袈裟でなく、僕が小説を書いていたからなのです。あるいは、書こうと努力してきたからなのです。

この1年間コツコツと書き連ねてきた、およそ20万字ほどの物語――途中で破綻し、前にも後にも進めなくなった奇形児――を、PC上からはもちろん脳内から削除するという行為はそのまま、僕の1年間を、すっかり否定することに他ならならず、そしてそれ以外に、つまり、その小説から「手を引く」以外に、道は残されていないのです。

マジでゾッとしました。そんな残酷なことを、僕はするのか。そんなあっさりと?ボタン一つで?

しかし僕は臆病者のままでした。僕は自ら、外した枷を足首に再び取り付け、深呼吸をしました。いいとも。あの20万字がもはや何事かの物語を結晶することはないだろう。ただし、他の物語の道しるべとなるかもしれない。いいとも。僕は潔く、僕と1年を過ごした文字の羅列を――愛すべき文字の羅列を、この手で埋葬しよう。その墓の隣に腰を下ろし、落ち着いて景色を眺めよう。あるいは何かを発見し、それをノートに書き留めよう。やがて土の何れから、小さな芽が生える。僕はそして、その芽自身になる。

その芽自身になる。



よし。乗り越えた。多分。

中二みたいな文章でスマソ。