ブラックホールの住人に向けて。 |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

ご無沙汰してます心配かけました。僕も嫁もハンナもエマも、この猛暑に時々体調崩しつつも平和に生活しています。なんてパソコンのモニタに向かって書いても実感がない。実感。つまり、コミュニケーションの実感。インターネットというところでは別段珍しくもないこの「具体的人物を想定しない(できない)言葉」、というものが、今ではひどく奇妙に思えるぜ。誰に向けて放たれたのか不明な、広大に過ぎる仮想現実の中で迷子になる言葉たち。僕はこれまで、一体何万字の、何億字の言葉を、インターネットというブラックホールの中に投げ込んできたろうか。そしてそのいくつが、現実に存在する「生身」の人間の脳に到達したろうか。

それはもう5年以上も前。人との「生身の」コミュニケーションを恐れてやまなかった若かりし僕は(といっても、今思うとそれは単なる「ナルシシズム」だったのだが、当時の僕にとっては切実な恐怖だった)、全てがデジタルに過ぎていくインターネットに安心感を覚えた。なぜなら、それは常に「一方通行のコミュニケーション」だったからだ。おかしな話である。コミュニケーションには基本的に、自分以外の第三者が必要なはずで、インターネットの世界ではそうではない。僕はひとりで、誰にもその存在を知らせていなかったブログの中に、好きな言葉を好きなだけ吐き出した。一般的な常識を持つ人間ならばきっと顔をしかめるだろう悪趣味な諸々にこそ興味を持ち、興奮したり驚いたり時には絶望したり、その感情を僕は延々と書き綴り、ネット上にばら蒔いた。

そこに僕以外は存在しなかったが、僕には確かに、「コミュニケーションしている実感」があった。

なぜなのか、いま全く分からなくなった訳では決してない。僕はいまだに悪趣味な「あれこれ」が好きだし、江戸川乱歩の『孤島の鬼』を読んで「世紀の傑作!」と叫んだのはつい最近だ。しかし、しかしだね、キミ。きみが大阪のボロアパートの一室でひとり没頭していた作業は、やはりコミュニケーションではないのだよ。キミのやっていた事は、鏡に写る自分の顔に様々な色のサインペンでいたずら書きし、そして出来上がった醜悪な創造物(つまりキミの顔さ!)を、友達かなんかのように扱うようなものだった。精神異常?とんでもない。異端?とんでもない。芸術?ははは。バカ言うな。

キミは未熟だった。
単に、未熟だった。
それだけだ。

文字通りの意味で。
「未だ熟していなかった」
というだけの意味で。



そして今も僕は未熟である。周りからはもう大人として扱われるし(もうすぐ30歳なんだから当然だ!)、「いやあ、昔のキミが嘘のような落ち着きぶりじゃないか」的な事はよく言われるようになった。でも、なんていうか、僕はあの頃の自分を卑下しないし、そして、今の自分を賞賛することもしない。僕は変わらず未熟者で、同じく未熟者であったあの頃の僕をまるで友達のように感じている。僕は自分とコミュニケーションし、楽しんでいる。未だ。

それがいいのか悪いのか、よく分からない。
たぶん、ずっと分らない気もする。



まるであの頃のように、書く。
まるで十代の頃のように、書く。

ああ、たのし。
たまにはいい。