羊たちの沈黙@トマス ハリス |   EMA THE FROG

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多分大阪の古本屋で買った、¥105という値札の付けられたボロボロの文庫本。買った当所の僕は多分まだまだ村上龍に夢中な時期で、であるならなぜこのようなエンタメ小説を購入したのか不思議なのだけど(当時の僕は村上龍の作品を<純文学>と信じて疑わなかった)、果たしてこの小説は読まれることなく本棚の中で何年間も日の目を見ないままであった。

この小説の名は『羊たちの沈黙』。ジョディ・フォスター主演(むしろレクター博士演じるアンソニー・ホプキンスのイメージか)の同名映画が爆発的なヒットを飛ばしたので、この名を映画タイトルとして認識している人の方が多いかも知れないが、元々はトマス・ハリスの書いた小説です(もちろん『ハンニバル』『レッド・ドラゴン』もそう)。

amazonのあらすじでは、

<FBIアカデミイの訓練生スターリングは、9人の患者を殺害して収監されている精神科医レクター博士から〈バッファロゥ・ビル事件〉に関する示唆を与えられた。バッファロゥ・ビルとは、これまでに5人の若い女性を殺して皮膚を剥ぎ取った犯人のあだ名である。「こんどは頭皮を剥ぐだろう」レクター博士はそう予言した…。不気味な連続殺人事件を追う出色のハード・サスペンス>

となってますね。

テレビで何度も再放送されていたし僕も映画は見た事がありました。ただ、みんなが言うほど怖くもグロくもなかったんですよね。それこそ村上龍の『イン・ザ・ミソスープ』『オーディション』『海の向こうで戦争が始まる』なんて作品を繰返し繰返し読み、それにも飽き足らずチェチェンゲリラが捕虜の首をはねるグロ動画なんてものまで見ていた若かりし頃の僕ですから、「殺した人間の皮膚でスーツを作る」程度じゃアンテナが反応しないのも無理はない。どちらかと言えば、<世間の評価の割につまらない作品>として記憶に残っていたわけです。

で、今回は映画でなく小説というアプローチでこの作品に触れた訳ですが、意外と面白かったです。(映画によって)物語の基本的流れは知ってましたので、「連続殺人事件とその捜査」という本筋に余り意識をとらわれる事なく、むしろスターリング、レクター、クロフォードなど登場人物の人間模様に注目して読むことができました。だからこそか、一番印象に残った場面はクロフォード主任捜査官と病の妻とのシーン。全世界が注目するような卑劣な連続殺人事件を捜査するというプレッシャーを背負いながら、寝たきりで意識もなく既に死がすぐそこまで迫っている妻の看病をし、それらのストレスから年下で部下でもあるスターリングを(行動には移さないものの)女として見始めてしまう、というサブストーリーにこそ、強く惹かれるものがありました。そのサブストーリーの象徴となるのが、僕にとってはクロフォードの奥さんなのです。

小説の構成という意味では、東野圭吾の『さまよう刃』についての感想と似た部分がありますが、登場人物たちが自分に課せられた役割を執拗なまでに死守する、という部分が特徴的だなと思いました。スターリングは少し感情的だが真面目で正義感に溢れた女性捜査官、クロフォードは沈着冷静でミステリアスで無口な影ある中年男性、レクターは異様に頭がよくて上品で義理堅いが変態な精神科医・囚人・逃亡者、そのイメージが最後まで変ることがなく、連続殺人犯であるバッファロウ・ビルを追い詰めていくという手に汗握る展開のはずなのに、淡々と、整然と物語が進んでいく感じがする。

『さまよう刃』の時にはその整然さは<物語をつまらなくさせる>ものとして感じましたが、今回はそれほど気にならず。むしろ、非常な寡作家らしいトマス・ハリスという作家の、小説に対する真摯な態度(余りに真摯すぎて、遊びがないように見える)を感じて、非常に感心しました。こんな風に書いていたら、そら多作はできんだろう、と思う。盛り込まれている情報は非常に専門的だし、それが単なるウンチクとしてでなく(つまり、阿部和重のようにではなく)物語側からの要求に応える形で登場している。物語に関係ない記述はほとんどなく、また、足りない記述もない。小説としてのひとつの完成形を見るような気がします。

ひとつだけ難を言うならば、バッファロウ・ビルの存在感のなさ。結局彼は、スターリングとレクター(そしてクロフォード)の人間関係をよりドラマチックな形で展開するため「だけ」に用意された、ハリボテの殺人犯のような気がしました。ハリスさんもあの手この手で彼の個性をアピールしてはいるけれど、何だか薄い感じがしちゃう。

とはいえ、とても興味深い作品でした。綻びがないです。