ドラッカーというおじいちゃんのこと。 |   EMA THE FROG

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最近興味を持ち始めたドラッカーというおじいちゃん(故人)がいて、彼はいわゆる「マネジメント」「経営学」の権威と呼ばれている人で、現在経済界でめざましい活躍を続けている様々な社長達(インテルの創始者とかユニクロの社長とか、聞けば誰もが知っている有名企業の社長達)から「神様」とあがめられている。彼には40冊以上の著作があり、「どれから読んでいいのか分からない」という意見が多いそうで、そんな方には、糸井センセの運営する「ほぼ日」の中のこのコンテンツからはじめるのがいいかもしれない。糸井センセと、彼の著作の殆どを日本語に翻訳した上田惇生という人との対談で、非常に読みやすいです。タイトルもずばり、<はじめてのドラッガー>だしね。

はじめてのドラッカー
http://www.1101.com/drucker/index.html

さて、かく言う僕も先日アマゾンから届いた初めてのドラッカー本「マネジメント~基本と原則」をまだ読んでいないため、彼の教えについてあれこれと意見できるほどの知識はないのだけど、彼が言う、「強みを伸ばすマネジメント」という言葉にはいろいろと思うところがある。彼はこう言う。

「成果をあげるエグゼクティブは、人間の強みを生かす。彼らは弱みを中心に据えてはならないことを知っている。成果を上げるには、利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自分自身の強み、を使わなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことが、組織の特有の目的である」(上田惇生・新訳・ダイヤモンド社刊より)。

僕が彼に興味を持った直接の理由は、僕自身が初めてマネジメント職(ぜんぜん下っ端だけど)に就いた事だった。癖の強いメンバーたちをどうまとめていくのか途方に暮れていた僕がこの言葉に出会った時、僕はなにか大きなヒントを得た気がした。弱みを補うより、強みを伸ばすこと。これが僕に響いたのは、いや、響いたというより、それまでの考えを破壊されたような衝撃を伴ったのは、つまり僕はどちらかと言えば、弱みを補うことばかりを考えていたからである。

マネジメント、という視点はこの際関係ない。僕は昔から人の欠点ばかりに目のいく、心の狭い人間だった。ひどい不良が、ひとついいことをすれば「実はいい人だったんだね」と人から言われるという話の逆、普段どれだけいいことばかりしている人でも、ひとつ悪い事をすれば「なんだ、悪い人だったんだね」と思ってしまうタイプだったのだ。

(友人であるある詩人の決意表明にあった言葉を借りれば)ここで普通なら、「でも、今はそうではないんです」と続くところだ。つまり、ドラッカーの言葉を聞いた今、僕は欠点より長所を重要視する人間になりました、当然そう続くように思われるだろう。

しかし、30年の人生の中でずっと寄り添ってきたその「欠点を見る能力」は、そう簡単に僕から離れてくれないようだ。僕は未だに、(特にプライベートにおいては)人の欠点ばかりに気をとられて、その人の長所を見ることができないでいる。近しい人間に対しても、僕は(むしろ妙な正当性すら感じながら)彼彼女の悪い部分を指摘し、あるいはそれで僕自身が嫌な思いをした場合には、まるで迷うことなく彼彼女を批判する。それまで僕が彼彼女からプレゼントされてきた、様々な「いいこと」の存在をすっかり忘れ、僕はムキになってその欠点を憎む。まるで、その欠点を愛しているような熱心さで。

僕は今、(自分の仕事は終わったけどメンバーが四苦八苦しているので帰れないでいる今)、ごくごくプライベートな、つまり家庭内で昨日自分がとった態度、あるいは口にした言葉、あるいはそれに伴って頭の中でイキイキと飛び回ったどす黒い感情、そういうものに対して、複雑な、しかし明らかに「後悔」や「苦痛」に傾いた思いを感じている。欠点ばかりをクローズアップしてしまう自分に嫌な感情を持って、そして、その嫌な感情をもたれているのが自分自身なのだという当たり前の構図に今更驚きを覚えつつ、胃の真ん中あたりで不気味に蠢いている「後悔」「苦痛」に“似た"感情に戸惑いを覚えている。

ほぼ日の中で上田さんは、「ひとにはそれぞれのドラッカーがある」というような事をおっしゃっている。それは、こんなふうに、経済やマネジメントという分野から離れた、プライベート、いや、人間性などという根本的な部分にまでも、ドラッカーというおじいちゃんの言葉が深く突き刺さる可能性を示唆している……のかな。分からないけど(I don't know the reason)、僕にとってはそうだったのだ。「事実は、セオリーに先行する」。

なるほど、事実は。