『モグラびと~ニューヨーク地下生活者たち』ジェニファー・トス著 |   EMA THE FROG

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同僚に「たぶん好きだと思う」と教えてもらったノンフィクション本『モグラびと~ニューヨーク地下生活者たち』ジェニファー・トス著を読み終えた。

これは、NYの新聞社(?)に勤める若き女性ジャーナリストのジェニファーが、NYの地下に広がる広大なトンネルを住処とする多くのMole People=「モグラびと」たちの生活を、文字通り体当たりで取材したレポートである。

巻末の解説で椎名誠も書いているように(この本の訳者は椎名誠の娘・渡辺葉である)、「モグラびと」というタイトルから僕が想像したのは、まさにモグラのごとく目が退化し、爪が発達して、全身を茶色い体毛が覆う「半獣半人」だった。例えば村上龍の『五分後の世界』に出てくる地下で独自の進化(退化)を遂げた元・人間や、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で博士の研究所に群がる「やみくろ」のように、地下、という特殊な環境下で起こるそういったグロテスクな変化の描写を僕は期待した。

しかし結論から言えば、それはほとんど叶わなかった。この作品の中に「半獣半人」は全くと言っていいほど登場しない。少なくともジェニファーが見聞きした範囲では、NYの地下で暮らす人間たちは、地上で暮らす人間よりもむしろ「人間らしい」人間たちだった。何千人(!)という規模のモグラびとたちの多くは、ドラッグやアルコール依存者、犯罪を犯して逃げている者、何らかの脅威から身を隠す為に降りてきた者、痴呆者などだ。中には昼間は地上で働いて夜にはトンネルに戻ってくるという生活を送る人間もいるが、少数だ。とにかく、一見したところ積極的に関わろうとは思えない人間が集まっている。

暗く、ジメジメしていて、人糞が散乱し、子犬ほどもある巨大なネズミが走り回る、ものすごい臭いが充満したトンネルの中で、地上からドロップアウトした彼らは、さぞ悲惨で低レベルな生活を送っているに違いない、と普通の人なら想像する。実際、その想像はそれほど間違っていない。彼らの生活は(少なくとも地上の人間から見れば)悲惨で低レベルだ。しかし、それほどでもないのかもしれない、と本書を読むと思えてくるから不思議だ。彼らはトンネルの中に大小様々なコミュニティを作り、「ハードドラッグ禁止」などのルールを自分たちで作り、他人の悩みを自分の事のように心配し、時には「誰かのために一枚しか持っていない毛布を差し出す」事もある。

一方で、逆の意味で人間的な部分ももちろん持っている。つまり、暴力だ。著者のジェニファー自身が経験しかけたように、殺人や暴行は日常的に起こっている。もともと法の光の差し込まない地下世界だ。誰が死んだのか、どうやって死んだのかを全て把握する事などできないのだ。それは、地下鉄に電力を供給するケーブルに誤って触れた事による感電死かもしれないし、食べ物にありつけず餓死したのかもしれないし、エイズやオーバードーズなどによる死かもしれない。しかし、そうではないかもしれない。誰かに乱暴された挙句の死かもしれないのだ。

よくも悪くも、人間的だ。


さて、読んだ価値があったかと聞かれれば「あった」と答える本書だが、(「半獣半人」を期待しすぎた余り)僕にはちょっと物足りなさが残ったのも事実だ。ノンフィクションなのだから仕方がないと言われればそれまでだが、逆に言えば、別にフィクションでもいいからもっと刺激的な文章を読んでみたかった。小説家たちがこぞって地下世界を舞台にした作品を生み出しつつけてきた理由は、地下世界で実際にどんな暮らしが営まれているかという「事実への興味」などではなく、地下という未知の世界を舞台に好き勝手な設定、物語を紡いでみたかった事にあるに違いない。例えばラブクラフトのクトゥルー神話や、ファイナルファンタジーにいつも登場する地底人なども、むしろ現実から遠く離れる事を基本スタンスに据えて生み出されたもののような気がする。

ということで、『モグラびと~ニューヨーク地下生活者たち』、悪くないです。