僕はO型で、嫁はA型だ。O型というと、世間の印象では「大雑把」。A型はというと、「神経質」か。しかし実のところ物事はそんなに単純ではない。O型の僕には確かに大雑把な所もあるが、むしろ嫁より神経質な所もある。何度注意されてもビンの蓋は閉め忘れるが、ゴミはゴミ箱に捨てないと気がすまなかったりもする。嫁は嫁で、確かに何型っぽいかと聞かれればA型なのだが、僕以上に大雑把な時もときどきあるし、よく分からない。
先日嫁がエマの散歩に近所の空き地に行った際、顔見知りの飼い主さん(おばさん2名)と会って、世間話をしていたそうだ。偶然それが血液型の話になって、聞くとたまたま、そこにいる3人は全員A型で、たまたま旦那が全員O型だった。つまりウチと同じ。「それでね、話聞いてたらほんと同じなんだって」と、仕事から戻りダイニングでご飯を食べている僕に、嫁が楽しそうに言う。
「朝起きてからする行動がしっかり決まってて、たとえば遅刻しそうな場合でも、その行動のどれも省略する事がないんだって、急ぐことはするんだけど、いつもどおりきっちりプログラムをこなすわけ、その結果として遅刻することになっても、まあそれはそれでいいかって、どっかで思ってるみたいな」
……。
……。
おお、何か思い当たるぞ。
「基本的には大雑把で面倒くさがりではあるんだけど、突然思いついたように何かを始めるの、掃除とか、整理整頓とか、そういうことを」
……。
あれ?これって俺の話じゃねぇよな。
「そのくせ蒲団のシーツがずっと変わってなくても全然平気だったりして…」
うん。全然平気。あれ?
「ウチの旦那もそう!って、思わず言っちゃった」
……聞けばそのO型の旦那さんは、60代だそうな。つまり僕はこの先何十年も、朝は決まったプログラムをこなさないと気持ちが悪く、突然思いついたように掃除を始め、シーツがずっと変えられなくても全然へっちゃら、という人間のままでいるのだろう。そう考えると、血液型占いとか、考えていたより信憑性があるのかもしれない。「O型のあなた!今日のラッキーアイテムは虹色のダルマです」みたいなものを信じるという意味じゃない。同じ血液型のの人間を「ひとくくりにして考える」ということの有効性の話だ。
さて。昨日『グラスホッパー』伊坂幸太郎を読み終えた僕だが、小説好きの同僚から借りた『金のゆりかご』北川歩実をさっそく読み始めた。これは、一言で言えば「幼児教育」の話で、赤ん坊の時に特定の教育を施すことで天才を生み出そう、というプログラムについて書かれたものだ。まだ冒頭の10ページほどしか読んでいないから、物語の全体図は分からない。レビューなどを斜め読みする限り、これはミステリー小説らしい。「とにかく文章力がなく、驚くほどページを進めるモチベーションがわかない」といった、なかなか厳しい意見もあるが、僕が同じ感想を持つかどうかは分からないし、読む前から想像する事でもない。
何れにせよ、話の芯はその、言ってみればマンガAKIRAに登場した子供老人たち(タカシとか、マサルとか、キヨコとか)が子供のころ受けた様な、赤ん坊の頭をいじくる悪魔の実験、みたいな所にあるんだろう。かなり好きな世界観ではある(まあ、だからこそ同僚はこの小説を貸してくれたのだが)。テツオみたいなん、出てこないかなあ、巨大化して破裂しないかなあ、と、密かに楽しみにしている。