まんなか。 |   EMA THE FROG

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①わかりやすい文章を書く
②時代と個人をしっかり書く
③主人公との間に距離をとる

これは、『僕って何』で第77回芥川賞を受賞した三田誠広というおっさんが、会社に辞表を出して本格的に作家としての生活を始める時に考えていた「戦略」なんだそう。言葉のみ見ればものすごくシンプルなこの3箇条だが、できるだけ客観的な視点で自分の書いた小説を読み返してみると、見事にどれひとつとしてできていない。

僕は三田誠広という人の小説を『僕って何』の冒頭くらいしか読んだ事がなく、彼がこの戦略のもとその後どんな傑作を生み出し、また評価されてきたのかは知らない。あるいは彼が、いつかのタイミングでこの戦略を捨て去った可能性だってある。何れにせよ彼がデビュー当時に自分に課していたこの3箇条が、本当に素晴らしい小説を書く方法論として正しかったのかどうか、今の僕には分からない。

ただ、自分の書いた小説がこの3箇条のどれひとつとして守れていなかったのは事実だ。また、今まで書いた作品がごく数人にしか読んでもらえておらず、結果的に僕のPC内にひっそりと保存されたままであるのも事実だ。ネット上で偶然出会った冒頭の3箇条は、自分の書いた小説を透過させたことでより一層「気になる」言葉となった。どちらかと言えば、悪い意味で。しかし同時に、僕はずっとこういう「ヒント」を求めながら苦しんできたのではなかったか。

多分僕はこの三田さんというおっさんと気が合わないであろう。詳しく知らないのになぜか既に嫌いだ。でも言葉は言葉、入れ物、記号。僕はこの先しばらくの間、冒頭の3行をなにかの目印とするような気がする。文句ブツブツいいながら。



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ということで、以下、上記の3つの約束事に対して僕がこれまで(多分今でも若干)考えていた意見。

①わかりやすい文章を書く?ふざけんな読者に媚びてどうすんだよ、分かり易い分かり難い関係なく読者の脳みそにガツンと突き刺さる刺激的かつ斬新な文体を発明できないで何が作家だ、谷崎潤一郎『春琴抄』村上龍『限りなく透明に近いブルー』モブ・ノリオ『介護入門』僕の頭にぶっささったまま抜けないそれら作品も、その魅力は文体自身文章自身にあったじゃないかくそったれ、作家たるもの基本アティテュードはマーケットインじゃなく常にプロダクトアウトさ。

②時代と個人をしっかり書く?時代って何だよ時代って、流行?文化?芸能人?それとも政治や凶悪犯罪?テレビや雑誌や図書館の蔵にしまわれた持ち出し禁止の分厚い資料にまみれていれば時代が把握できるのか?否。いつだって俺のヒーローは世の中から隔絶された狭く暗い地下室で、自分の存在を忘れるほどの孤独と同居しゴボゴボ咳を吐きながらノートに向き合いペンを走らすだけの悲しい人だった。脳内にこそ世界がある、脳内にこそ時代があり、脳内にこそ希望がある、と信じて信じてそのどれ1つも見つけられないまま死んでいく、そんな悲しい人だった。時代と個人を著者の外側に求めた時点で、彼に対して白旗を上げたに等しいのだ。

③主人公との間に距離をとる。これは何となく分かる。でも順番が逆だ。私小説を書くような人間には最初からそこに距離があるのだと思う。だからこそ小説の中に「自分」を登場させる事に違和感がない。もっとも、ここで三田さんが言いたいのは主人公を「自分ではない人」=「他人」として描けという事だと思うので、実際には正反対の意味になりますが。