煮詰まったふいんき |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

雰囲気を「ふいんき」と読む人は多分10人に1人くらいの割合で生息していると勝手に思っているわけですが、だから話している相手が「ふいんき」と言った所で別段驚きはしないし、もちろん「ねえ君、雰囲気はふんいきって読むんだよ」なんて無粋な指摘をしたりはしない。

時にあなた、「煮詰まる」という言葉の意味をご存知か。そんなの当然知ってるわと怒る事なかれ。これ僕も数年前まで知らなかったんだけど、煮詰まる=「討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく」なんです。つまり、全然悪い意味じゃない。むしろちょういい意味。「さあみなさん、議論も煮詰まったことですしパーっと飲みにでも行きましょう!」という使い方が正しいんですね。いや~ぼくちょう悪い意味だと思ってましたよ。「煮詰まっちまってもう何にも考えられない!」なんて使ってました。辞書調べたらご丁寧にもこの誤用について書いてありました。曰く【近頃では、若者に限らず、「煮詰まってしまっていい考えが浮かばない」のように「行き詰まる」の意味で使われることが多くなっている。本来は誤用】だそうです。

さて、ここで僕はある疑問にぶつかる。疑問というより、ある種の恐怖だ。つまり、例えばお仕事の打ち合わせをしている場で、相手が「いや~煮詰まりましたね」と言ったとき、僕はどうすべきなのか。僕はその時の状況から考えて、相手がいい意味わるい意味のどちらを意図して「煮詰まった」という言葉を使っているのかを瞬時に判断しなければならないわけだが、これはなかなか緊張をともなう作業だ。例えばさいしょに挙げた「雰囲気」ならば、それを「ふんいき」と読もうが「ふいんき」と読もうが別にあんま変わんない。でもこの「煮詰まる」に関しては、「やったースッキリまとまって気持ちがよいね!」という意味と、「ぐむむむ、ぐむむむ、ああ何も浮かばない、ぐむむ、ぐむむ」という意味と、ほとんど真逆の意味で使われるのだ。場合によっては、僕は相手に合わせて「わざと」誤用の意味で<煮詰まる>をを使わなければならなくなるだろう。

思えば言語というものは、時間と共に変化する。大学時代のゼミで、僕は「中英語」と呼ばれるラテン語と英語が混じったような不思議な言語で書かれた作品を勉強したが、意味どころか発音すらままならなかった。またあるいは、平安時代の文書には既に「最近の若モンの言葉づかいはなっとらん!」というような表現があるらしい。そう考えると、もしかしたら近い将来、<煮詰まる>という言葉は本来の意味を忘れ、現在の若者が使っているような意味こそが「正しい意味」として認識されていくのかもしれない。面白い。非常に面白い。言語というのは「決まりごと」であると同時に、使う人間の認識によって変化し続ける「生き物」でもあるのだなあ。素敵すぎ。


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