おとなのこつ。 |   EMA THE FROG

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    roukodama blog

「我慢」というのは仕事においてちょう大事だな、と最近よく思います。特に、誰かと会話するときには。我慢、というと何となく「嫌なことに耐える」みたいな印象を与えるかもしれませんが、ここで言う『我慢』はちょっと違くって、どちらかというと「相手の話の腰を途中で折らない」という、こうやって言葉にするとこの上なくバカっぽいですけど、僕は非常にせっかちな性格なので、例えば既に僕が知っている内容の話を「きっと君はまだ知らないと思うので説明してあげるけども」みたいな感じで相手が話しだしたりすると、相手の話を余裕で遮り「ええと、もうそれ知ってます」とか言っちゃってたわけです。その時の僕の心はむしろ「必要のない話で、あなたの時間を無駄にしたくはないから」という優しさに満ち満ちており、なんら悪い事をしているつもりはない。そのあと、話を遮られた相手との間に若干の気まずさが漂い始めても、「ほら僕は、この気まずさを引き受けてまであなたの時間を守ったのだ」とか、むしろ自己陶酔する始末。

で、まあ、じゃあその意識を改めたのかと言われると、別にそうでもないんだけども、つまり、「無駄な時間」をできるだけ削る、というのは今でも大いにたいせつだと思っているし、明らかに無駄な会議とかに呼ばれたら「僕は必要ないので参加しません」とか今でも余裕で言っちゃうけど、ただ。

ただ、僕は「自分を疑う」ことをおぼえたのだ。つまり先の話で言えば、そのときの僕が知っていることと、相手がこれから僕に説明してくれようとしている内容が、イコールでない可能性を考えるようになったのだ。「もう知ってるから。この上なく知ってるから」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、つまり「我慢」して彼の話を聞いてみたら、もしかしたらやっぱりぜんぶ、僕の知っていることかもしれない、でも、もしかしたらそうではないのかもしれない。「え、そうだったんですか!?」と驚くような、僕の知らないじょうほうをかれは持っているのかもしれない。そして、実際に「我慢」を覚えてから、ぼくはこういうばあい、後者の方が確立がでかい、ということに気がつき初めている。つまり我慢して話を聞いていると、僕のしらない「え、そうだったんですか!?」と驚いてしまうような情報が、あいての口から騙られることが覆いのだ。そしてもうひとついいことが発見した、つまり「いんてり」に見えることだ。あいての話しを「ぐっ」とがまんして聞いていると、僕はなぜだかあいてから「いんてり」だと思われているような奇がする。おとなははなしをきくと、おとなになれる。ぐっとがまん。これがおとなのこつだ。あるじゃーのん。



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