浸透するや、通り過ぎるや。 |   EMA THE FROG

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先日ちょっと紹介した舞城王太郎『九十九十九』読了、とほぼ同時に川端康成『みずうみ』読了、とほぼ同時に高橋源一郎『日本文学盛衰史』読了、根気無く飽き症の僕は複数冊の本を同時に(とっかえひっかえ)読み進めるくせがある。だからこんな風に、3冊の読了のタイミングが同じ1日の中で起こる事もある。

上記3作品はどれも面白かった。それぞれ全く別の魅力を持った小説たちだった。作中作、作中作中作、作中作中作中作、と終わってみれば「結局現実はどこにもなかった?」『九十九十九』、三島由紀夫が「あんな不定形でドロドロした小説のどこがいいんだ」と酷評した、「ただのストーカー小説」と切り捨てるにはあまりに美しく、あまりに人間的な文章に満ちた『みずうみ』、明治期「コトバ」に全身全霊で向き合った愛すべき中二病患者たちの人生を、フラットでロハスでエコで癒しな文章で描いた『日本文学盛衰史』。この3作品の終わりが相次いで訪れたその日の夜、僕には久々の「寂しさ」が訪れた。作品を読み終えてしまった事に対する「寂しさ」である。それは、それまで暮らしていた家を離れる、引越しの時の心地によく似ている。

という事でつかのまの空白期間、思えば僕はこれまで「コトバ」を欠かさなかった。それは小説であり、漫画であり、ファッション雑誌であり、ドキュメント本であり、携帯のニュースサイトであり、単色刷りのスーパーのチラシであり、あるいは僕自身の紡いだ文章だった。膨大な量のコトバが僕に浸透し、そして消えていった。あるいは通り過ぎて行った。さっきアマゾンで東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2』を注文した。浸透するや、通り過ぎるや。まあそれは、どっちでもいいのだけれど。


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