愚痴です。多分。 |   EMA THE FROG

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僕には変にドライな所がある。それは社会に出てからもあまり変わらない。たとえば、僕には「愛社精神」というものが皆無だ。会社の為に身の粉削って体壊すまで頑張ろうなんて思わないし、逆に、会社にとって僕という人間の価値がゼロになればクビになっても仕方がないと思う。もちろん僕は真面目に働いている。しかしそれは、今の会社にいつまでもいたいと考えるからではなく、会社から「価値なし」と断じられる自分が許せないからである。「俺が会社を引っ張っていくんだ!」というような野心がほとほと希薄な代わりに、僕は(こと仕事において)会社を「ガッカリ」させる事は決してしないだろうと思う。

一方で、「この会社が好きだから働いている」という人に出会う事もある。そういうタイプで仕事のできる人は当然出世も早く、将来的には幹部になっていくのだろう。しかしそういうタイプであまり仕事のできない人もいる。そういう人達は僕から見て、時々不思議な不満を持っている。「何だか最近会社が嫌いになりそうだ」「こっちの気持ちも少しは考えて欲しいよな」自分にとって嫌な事が起こると、つまり、その人が「好きだった会社が嫌いになってしまうような出来事」が起こると、彼らは「会社が変わってしまった」と言って嘆く。僕はそういう意見を耳にするたびに、まあ気持ちは分かるけどと思いつつ、大きな違和感を感じずにはいられない。

まあ突然会社の方針が180度変わってしまうとか、明らかに不当な評価を受けたとか、確かに不満を持ってしかるべき場面は往々にしてあるだろうが、例えばそれが「給料が下がった」とか「降格した」みたいな話の場合、どうして彼らはその原因が「自分」にある、と考えないのだろうか。あるいはそう考えた後、自分に非がないと結論付けたのだろうか。まあ人のことは分からない。別にいい子ぶる気はないのだが、僕がもし自分の仕事に自信が持てず、その結果として給料が下がったとしても、文句などむしろ恥ずかしくて言えない。また、もしも自分の仕事に自信があっても、それをキチンと吟味した上で会社が「お前給料下げる」という結論に達したのなら、それまた文句は言えない。僕が有益であると思っていたことが、会社は有益だと思わなかったという、根本的なズレが浮き彫りになるだけだ。まあそういう場合、僕は転職しようかな、とは思うかもしれない。

さて、なんでこんな事ダラダラ書いているかって、さっきある上司が突然の退社を発表したわけです。彼は今の今まで、率先して「おっしゃ皆で頑張っていこうぜ!」と檄を飛ばしていた人でした。誰もが、彼はこの会社と心中するくらいの強い気持ちを持って、頑張って働いているのだと思っていました。でも、彼は今月一杯、つまりあと一週間足らずで会社を去る事になったのだと発表しました。彼にどやされて毎日頑張っていた営業さんたちは、その言葉を聞いて明らかに驚いていました。そら驚くわな。僕も驚いた。

でも、なんと言うか、例えば彼を「裏切り者」みたいに思うのは違うと思うわけです。事情があるなしに関わらず、誰かが会社を去るという事に、それほど一喜一憂すべきではないと僕は思う。僕らは前向きな意味でも、後ろ向きな意味でも、会社の一部分に過ぎない。僕らは「会社」という絶対的な神にぶら下った人形ではない。人間として、たまたま同じ会社に集まった「個人」なのだ。

とか何とか。まとまりませんが。ある種の愚痴かな。こりゃ。