今回は障がいのある子どもを産む意味と言うことでお話ししていきます。
障がいのある子どもが生まれることにはもちろんちゃんと意味がありますし、障害があろうがなかろうが子どもを産むのに本当は理由なんかいりません。
でも時々議論という名の誹謗中傷とも取れるような発言を見かけます。
高齢で出産することで障害をもった子が生まれる確率が上がると、主に女性の責任であるかのように言われているものを見かけますがこれは女性の責任ではありません。
魂的にみれば女のせい、男のせいという話ではなく宿命であることが多いのです。
また、高齢で子どもを産むなら出生前診断をして障害があるなら産むべきではない、生まれた子どもが不幸になると、さも良いことを言っている風にまくし立てる人がいます。
障害のある子を産むのは親のエゴだと。
しかし決してそのようなことはありません。
そもそも出生前診断でわかる障害は数多くある障害のうちのほんの一部です。
主に21トミソリーと言われるダウン症の子どもですね。
もちろん夫婦の話し合いで出生前診断をすることは悪いことではありません。
その結果お腹の子どもが21トミソリーだとわかり、経済的事情やライフプランを夫婦や家族で熟考して堕胎することがカルマになることはありません。その判断は簡単にできるものではありません。愛があればこその決断ですからね。
話し合いの結果障害があっても産んで育てようというのも親として愛のある決断です。
どんな子どもでも生まれてきた子どもは可愛いものです。普通よりは時間がかかるけど成長していく様は感動的なものです。
障害のある子を生み育てることも、堕胎を決断することも魂の大きな経験と学びです。
障害があっても周りから愛されて育つことはその子の魂の大きな経験と学びです。
そう言ったことを経験した魂はまた次の転生をした時に障害のある人に優しくできる人になります。
人様に向かって障害のある子は堕胎しろなどと思いやりもなく乱暴なことを言う人間にはならないはずです。
完璧な肉体の転生のみを繰り返すことができるのならそもそも輪廻転生で学ぶ必要などありません。
完璧でないことを学び人を思いやる気持ちを育むために私たちは輪廻転生しているのです。
どんな子どもでも、どんな障害があっても、思いやりを持って周りに受け入れられながら生きていくことのできる社会を地球全体で目指していかなくてはならないのです。
(逆に障害のある親が子どもに面倒をみさせるために子どもを産むということがあるようですがそのような考えで子どもを産むことはカルマになりますのでお気をつけください。)