写真と日記帳 | 過去、現在、みらい。

過去、現在、みらい。

こころのこと、子どもたちのこと、私のこと。

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

娘が生まれたとき。

 

 

「母親」としての役割が嫌で

 

 

「母親」であることが

生んだくせに受け入れられなくて

 

 

「ママだよー」とか

「お母さんだよー」とか

 

 

何年か言えなかった。

 

 

 

 

 

「ママだよ」って

認めてしまったら

 

 

 

 

 

私はこの

ただ寝て、起きて、泣くだけの

 

 

圧倒的弱者が生きていくことの

 

 

責任を背負うのが怖かった。

 

 

 

 

(こんな心持ちだったから当然のように産後鬱にもなった笑い泣き

 

 

 

 

 

いつの間にか

「ママだよー」って

 

 

言えるようになっていたけれど。

 

 

そうだ、私はいつも

 

 

「役割」を自覚するまでに時間が掛かるんだった。

 

 

 

 

 

 

 

生後数ヶ月の娘は

 

 

泣くか寝るか、おっぱい飲むかで

 

 

生まれたばかりって声を出して笑ったりしなくて

 

 

 

 

「新生児微笑」なんて言葉があるように

 

 

精々にやっとする程度だったけど

 

 

 

 

 

久しぶりに開いた娘のアルバムには

 

 

そんな僅かな表情の移ろいを

 

 

沢山撮りためたものがあって

 

 

「どんだけ似たような構図で撮ってんの」と

 

 

吹き出してしまった笑

 

 

 

 

 

 

毎日何時に授乳して

 

 

どのくらい寝たのか

 

 

機嫌はどうで

 

 

私はどう思ったのかを

 

 

書きなぐった日記帳も挟まっていて。

 

 

 

 

 

今の私が

あの頃の私に声を掛けるなら

 

 

「気張るな。出来ないって言え」

 

 

「一緒に泣いたら良い。一緒に寝たら良い」

 

 

「そんなに見張らなくてもアンタの子は強い」

 

 

「ずっと強くて優しいよ、あなたも、この子も、周りも」かな。

 

 

 

 

 

 

 

「役割」が何かを知っていると

 

 

私はやっぱり安心する、けど

 

 

母親としての「役割」を認めたくなかった時も

 

 

心の底ではふんわりしたままの「役割」を

 

 

全うしたくて

 

 

いつかこの役割に責任を持ちたくて

 

 

頑張ってきたんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうに必要なことは

 

 

「役割」に名前が付けられなくても

 

 

ぼんやりしたままでも

 

 

やっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

答えられないほどの小さなことでも

 

 

自分が必要だと思っていることは

 

 

全部、自分を生きていくための役割なのかもしれないね。

 



 

 

昔のアルバムも

日記帳も

 

 

今の私が受け入れる。

 

 

あの時の出せなかった愛情ごと。

 

 

ほんとうは愛おしくて仕方なかったって、今なら分かるから。

 

 

 

 

 

 

 

ここでは書かないこと

サービスの募集などはこちらから。

 

新規登録者さまに

【あなたを知る星読み動画】をプレゼントしております。