昨日の娘の参観日、
道徳の授業だったのですが
そのテーマが
「自分のことを伝えよう
私はだれでしょう。」
というものだったの。
一年生なのに深いな…!!と
私前のめり笑
事前に一人ひとり決められた項目
・得意なこと
・頑張っていること
・良いところ
・好きな遊び
・好きな勉強
・住んでいる所
を書きまして
(あといくつかあったけど忘れた)
匿名で先生が読み上げて
誰のことなのかをみんなで当てていく。という内容でした。
でね。一年生ですよ。
好きな遊びがドッジボール多数だったり
好きな勉強が図工ラッシュだったりするのよ
あら?これさっきも読み上げられたような…と思うくらい
内容が被っている子も多かったんだけど
でもみんな誰のことかってちゃんと当てているのです。
これには驚いたなぁ。
確かに住んでいる所とかはみんな違うしヒントにはなると思うけど
微妙な違いを子どもたちはちゃんと分かっていて
その違いを無意識で尊重しているんだなぁって思ったの。
娘は「得意なことはピアノ」と書いていたのですが
他にもピアノを習っている子や上手な子は沢山いるんだけど
「私の得意はピアノ」って
誰かとの優劣とかじゃなくて
自分の得意を言えることもすごいなって思いました。
私ありますよ。
「”一応”星読みは出来ますけどでももっとすごい人いますし知識も豊富でなんちゃらかんちゃら」(書いてるだけでうざい)
みたいなこと。
今だにあります。
子どもたちはそんなこと関係ないんでしょうね。
だって「自分のことを伝えよう」
な訳ですから。
私ね、こんなことが好き。
こんなことが得意で
勉強ならこれが好き。
その内容に優劣も善悪もないのよ。
算数が50点でも得意って言って良いし
他にもっと上手なひとがいたって胸張って好きって言って良い。
「私は自分をこう思ってる」って
ただ伝えて良いよね。
いやぁ、響いたね。
自分を出すってこういうことなんだなぁって衝撃でした。
それで誰かの得意とか
好きとかをね
誰一人として馬鹿にしないの。
みんな肯定。
「○○ちゃんすごーい!」
「ピアノが得意なのは〇〇君だと思ってたけど○○ちゃんもだった!」
「私もさんすう好きだよ!楽しいよ!」
もうなんかあの空間が温かすぎて
このまま大きくなって欲しいなぁって思った。
違いを肯定し合える世界があることは
やっぱり可能性が広がっていく世界だし
色鮮やかな世界だよ。
素敵な授業参観でした
では、また明日☆
息子が秋を運んできましたー

