大学の後輩で、彼女がいるのに女遊びしているやつがいた。酒の勢いかあまりに下世話なことを言うので、ほんと最低やなと笑って言ってやるのだが、そいつは最後に「色々な娘と遊ぶたびに、やっぱりアイツやなと思う」とぽつりと言う。全然ピュアではないのに、なんでだろう切ないな、と思った。
そんなことを何となく思い出したのはラストバージンを電車で聴いていたとき。
だいぶまえに出たRADWIMPSのシングル「五月の蝿/ラストバージン」。アルバムを聴きながら、やはりこの二曲は色濃いと思う。どちらも狂気じみた愛の歌。五月の蝿の歌詞が過激だと話題になったことも、そしてそれが字面に反して恋愛の歌だということももう今更私が言うことではないけれど、私はそれと同じくらい「ラストバージン」が衝撃だった。静かな衝撃。静かなるドンである。
これを結婚式ソングとか言ってる人も居るのだけど、私にはどうにもそう聞こえない。幸せなラブソングぽいのになんだか悲しいのだ。まるで心中するみたいな。
まずね、サビがこれ良いコードで良いメロディーで印象的なんです。
「生まれてはじめてと最初で最後の一世一代が君でした」とか言うんですけど。
でした?て思うんですよね。あ、「です」じゃなくて?て思うんです。引っかかるんですよ。
こんな気持ち初めてと僕が言うところから、「君」と「僕」の会話のやりとりがひたすら端的に繰り返されていくわけですが、そんななんでもないやりとりが「なんだか僕は嬉しくなって笑った」りしてノロケるんだけど、ここも笑うんじゃなくて「笑ったんだ」ていうんですよ。君がこういったら僕がこういったよね、って思い出を語るように言うんです。そしたら出てくるんですね。
「何度も何度でも思い出せるように歌にして」
はいやっぱ思い出でした。
何事においても、はじめてとか一度きりとかいう言葉は響きの良いものだと思うけども、この曲は本当にそればかり。大サビでは「君」のことを「生まれてはじめて」と「最初で最後」と「一世一代」という一生で一度しかない瞬間をたたみかけながら、「何も始まることのない終わり」というこれまた一生で一度の死の瞬間まで持って行くんです。そしてたくさんの「ラストバージン」を思い出にしてしまったところが、この歌の一筋縄ではいかない感を醸し出す。切ない。
死ぬまでもってくよ、というその気持ちはなんて狂気だろうと思う。「五月の蝿」に負けぬ狂気だ。心中したかは知らんけども、死ぬまでなんて言葉をひたむきに使われたときの恐ろしさよ。君を許さないよ、とか憎まれるよりもずっとスリルのある言葉だと思うが私だけだろか。
ラストバージンでは生まれてはじめての一世一代であって、五月の蝿では生まれてはじめての宗教である「君」。ほんとにRADは「君」への想いが純粋すぎて半端なくてびっくりする。怖いもの見たさで聴いてしまう。
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