イラン旅vol15 最終話 | 〜道神堂でしょう〜 道上和生の綴るブログ

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日本に限らず、世界を舞台に直感の赴くまま魂の旅の企画、直接、物資の手渡しを難民の子どもにする旅を企画する。対面にて世界で一つのオリジナルパワーストーンブレスレットの提供をする

さて、イラン旅行、やっとこさ、最後の詰めに入りました。



テヘランに戻ってきて、時間は後、丸2日ほど。



そこで、本来の目的である、直接、子どもたちに服を届けるというミッションを完遂させる為に動きます。



方法は一つ。




実際に難民の方の住まわれているところに行ってランダムに配る。



でございます。



難民の方々は家というかプレハブ的なところに住まわれる方もおられますし、中にはレンガ工場脇のゴミ捨て場の近くに勝手に住み着いておられる方などもおられます。

 

今回僕らはアポも何もない状況の中、とりあえずそのエリアに到着し、その近くにある売店のじいちゃんに、中の様子等を詳しく教えてもらいました。



柵の中に行くのはとても危険でオピューム中毒者や他の麻薬中毒者も多いから中には入らん方が良いと。



そう、イランは飲酒が違法なのでアルコール中毒者は存在しないのだった。



なので、道の外を歩いている子どもたちを見つけ、渡し、柵の中にいる他の子供達を連れてきてくるようにいうと、中から結構出てきたー!


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ここの地域はアフガニスタンの人たちの集落。未だに内戦、紛争の終わらない国で、難民の避難先はイラン。


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ここで、子どもやお母さんを中心に服を渡すのだが、中には例の中毒者の方々ももらいにくる。



いやいや、おじちゃん、子どもいないっていったし、服が小さいから着れないよ!!



って、訳させたが、その服をもらって売って、新しいヤクを買うんだといっていたそうな。



そのうちに、中毒者同士でそいつをよこせ!といったような喧嘩殴り合いが始まり、動向をいただいたイラン人の方々に、ヤバいからすぐ離れようとなり、車に飛び乗って別のエリアを目指しました。



中毒者の眼の正気の失い方、アフガニスタン人がとっても日本人に近い顔の方もいる現実になぜか圧倒されながら、車内で一息ついていました。



しゃんの僕の左肩付近に車内から状況を見ていた長女の顔が写っているんですが、一体どんなことを思いながらその状況を眺めていたのでしょうか。



そして、次の現場に行くまでにお菓子の取り合いを長女と長男がいつものように繰り返しているのを見ると、なんとも考えさせられることがありますね。



自我と呼ばれるものができ、名前ができた時点で所有の話だったり、エゴの話が支配していくようになるのだろうなあと。



ニンゲンのいろんな部分を子どもも含め見るようになる。



そして、次の現場ではおっきいお兄ちゃん、子どもたち、お母さんたちだけだったのでゆっくり渡すことができ、それでもやはり柵の向こう側に入らないでやっていることに強い違和感を感じながら渡し続けました。



次回は必ず、柵の中へいってやるんだと心に誓いながら。



そこで気づいたこととして、一番寒そうで金のなさそうな格好してるのが、何を隠そう僕自身であるという事実です。



寒空の中パーカーに短パン、サンダルの僕に対し、ジャケット、ズボン、靴の難民のお兄ちゃん。



それこそ、外から見たら寒さ感覚のオカしな、アフガニスタン人の変人が裕福なイラン人と共になんかの支援団体をしているようにも見えたでしょう。



まあ、なにはともあれ、配りきることができたので一旦また裕福な住まいへ戻るというなんか、歯にスジ肉が挟まったような感覚の中、自分のやったことは本当にただ、余ったものを欲しいという方々に渡しただけだったのだなーと振り返っても感じます。



でも、はじめの一歩としてはそれでも良かったのではないかと改めて感じております。



できる範囲で楽しく、支援を、あくまで自己チューでも良い!!というスタンスで始まりやきっかけを作り後は各々自分の考える支援活動(続けるならば)にしていってくれれば良いかなーと想っています。



真面目にちゃんと、慈しみながら行う支援も素晴らしいと思いますが、僕はそうでない新しい方向で支援を続けていきます!



今回の僕の支援をきっかけにして家族旅行を楽しんだり、その国の事をもっと知ってもらえるように。



今を楽しむ×旅×支援活動



来週には正式に登記も完了します。



まだまだ手探りですが、皆さんをイランへお連れする旅を企画したいとも思ってますのでその際はどうぞぉー!