「意見」という「わがまま」に対する個人的見解 | 徒然雑記

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主に創作物(ゲーム・アニメ・イラスト・シナリオ・音楽)に関する感想や覚書。

これは「意見」だから。

 

そんな感じで、意見を便利な言葉として使っている人をよく見かける。

辞書を引く限り、そう言えなくともないのだけれど、

例えばそれは「文句」や「わがまま」といった言葉にも置き換えられる場合が多い。

 

個人的に「意見」は貫き通すものではなく、

他人の意見や様々な要因があって変化すべきだし

「より良いものへ昇華するためのもの」だと思っていて

 

大人の世界で「意見」と言えば

そういった主観的な要因以外も考慮し、初めて認められるものです。

(よく「意見をまとめてから」なんて言いますね)

 

もちろん、自身の主張を持つことは立派なことですし、

個々の考えを持ち、それを伝えるという行動は評価されるべきものです。

 

ただ、俺はこれがいいんだ!、だからそれ以外の考え方は糞!

と他者の意見を突っぱねて、最終的に否定をされだすと

これは俺の「意見だから」と開き直るのはなんか違うよなぁと。

自分の意見を持つなというわけではなく、

意見には「良い悪い」があることを正しく理解してほしいのです。

 

元々意見は各々がもっているものなので

自分の意見があれば、当然他人にも他人の意見があり、

良い意見なら賛同を得られるし、悪い意見なら反対に否定されます。

 

否定された上でこれは「意見だから」と開き直るという行為は

つまりこれは人に否定されるような「悪い意見」だから、と言っているわけです。

 

もしそれが本当に「良い意見」なら対抗意見より優れていることを論し、

多くの賛同を得られるはずです。

賛同が得られないということは、つまり結果が出せないということであり、

結果の出ない意見はただの独りよがり、文句やわがままと変わりません。

端的に言ってしまえば

子供が「お菓子買いたいけど、お小遣い足りないからもっと安くして!」

と主張するのも、意見と言ってしまえば意見です。

ただ多くの人は、それは子供のわがままだと片付けるでしょう。

 

 

今はネットの普及のおかげで誰でも気軽に情報が発信出来る時代であり、

多くの人が何らかの形で自分の考えや意見を書き留めることがあるかと思います。

 

意見とは意見する対象がいて初めて生まれ、

またその意見する対象も様々な意見の上で成り立っていることでしょう。

同時に意見と意見はぶつかり合い、否定と肯定によって良い悪いと別れていきます。

その課程で他人の意見に耳を傾け、新たな価値観を得られたのであれば

それはその人にとっての進歩であり、意義のある建設的なものであったと言えるでしょう。

 

しかし他人の話を聞かない独りよがりな主張は

他人にぶつけることはできても、それ以上の昇華は期待できません。

 

 

結局、価値観や考え方の問題な話もしますが

意見を認めて欲しいのであれば、独りよがりな主張は良くないよというお話でした。

 

昨今の意見と呼ばれるものは如何せんマイナスなイメージが付きがちなので

もっと建設的な意味で「意見」という言葉が使われたらいいなと思います。