ある時代ある年齢の自分、というのはきっと記憶の紙葉が掃き溜められた場所で、混乱して整理もつかないまま揺れているにちがいない。
書けるときに書いておこうと思う。
点描のように世界のそこここにいた自分。
なんの脈略もないけど、ただ眼差しだけがいつも変わらない。
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20くらいの頃から僕の一番好きな画家はジョージア・オキーフだった。
オキーフの描くクリーンで、強い画面にずっと共感を覚えてきた。
何年か前に当時の彼女を交通事故で亡くしたのだけれど、そのときの病棟の廊下にオキーフの百合の絵がかけてあった。
たぶんオキーフがニューヨーク時代に描いたのだろう、性と生命を強く感じる絵。
ICUに搬送されて二日目だったろうか、担当医からあと数日の命だと聞かされて、病院の駐車場の車の中でひどく泣いた。
ICUではまわりが気遣ってふたりきりにしてもらえることができた。
面会時間の終わりが近づいてきていた。
脳が死んでいるとは思えない血色の良さだった。
すこし恐怖を覚えながら手術着の下の乳房に触れてみた。
肺が破裂していると聞いていたので触るとどうかしてしまうのではと怖かった。
手のひらにいつもの体温を感じ、ひどく満足したのを覚えている。
伝えたいと考えたことをすべて伝え、キスをし、ICUを出ると百合の絵があった。
植物状態でひと月が過ぎ、毎日病院に通っていたある日、亡くなった。
彼女の臓器がひとつひとつ死んでいって命のシグナルが消えていくようだった。

