ノイバイ空港からハノイの旧市街まで。
群がるタクシー運転手の輪のまんなかで競りのような運賃交渉が済むと、エアコンの効いた車内に飛び込む。
途中広大な空き地の真ん中に凱旋門が見える。
社会主義。
バイクの渦のなかにクラクションを鳴らしながら突っ込んだらもうハノイの中心部だ。
ハノイに着くとツーリストオフィスに寄り、そばにある大教会に涼みに行った。
パリのノートルダム寺院に似たゴシック様式の大聖堂に入ると煮えたぎる蒸し風呂のような外気から逃れることができた。
フランス統治領時代のベトナム人司祭の墓石や美しい聖母子像がある内部も、外の日差しに慣れた目には真っ暗でよく見えないのが常だった。
無神論者なので祈ることもせずただ祈祷席の片隅にぼんやりと座って祭壇の聖ヨセフ像の背後で光るステンドグラスを眺めていた。
何度か訪れるたびにベトナム人の背の低い司祭と目が合うことがあった。
そうしたときには司祭は必ず胸の前で手を合わせてお辞儀をする。
僕もそれにこたえて日本式の会釈を返した。
もう何年も前に国際宅急便の仕事はやめたから世界を旅することもない。
この国で、なんのプランもなくただそれしかできることがないから、
それくらいしか僕という人間は稼ぐすべがないように思えるから
絵や文章を練習したりものを作ったりしている。
内面に沈殿したたくさんの記憶のなかで旅した記憶、
この肺が吸い込んできた恋とか独りの浮遊感みたいなものを
これからはこの場所で海のそばで暮らしながら吐き出していこうと思う。
いつになるのか知らない。
ぼくのやっていることがぼくの心に追いついて、
ぼくの感じてきたこと信じてきたことそのままの
イメージが紙やカタチ・色にあらわすことができたら
十分にそれで満足だし、きっとそれで人の心だって満たせるに違いない。
このひねくれた僕ですらそれらの前でありとあらゆる寂しさとか絶望から救われて、
こんなにこの世界には自由で美しい景色があるのかとそのときに知ったのだから。
大聖堂から一歩出るとハノイの喧騒が熱と人間の渦巻く気配で押し寄せてくる。
ここから一週間、僕はこの街で暇をもてあまし恋をして、浮遊感とか酔っ払うとかただ日本とか自分が何者かを忘れるためだけの時間に浸っていく。



