支え(2005年6月) | ココロの奥底

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ニートやOLだったりするバスケコーチの赤裸々日記→コーチも辞めただの主婦と化しました

2005年6月

三年生が引退、新一年生と二年生足してもやっぱり当時は10人居なかった。

そしてバスケはほぼド素人の私。

それでも、引退した三年生が残してくれた3部という称号。

3部継続はもちろんのこと、2部昇進を目標としたものの私は正直どうしようかと迷っていた。

頼まれて続けようと決心したものの、一からちのチーム作りなんて誰にも教わったことがないし、当時私はただの専門学校生だった。

これも後にまとめるつもりだが、当時の私はコメディカルの専門学校に通っていたが、その動機は物凄く不純だった。

だから、親を説得するために後付で物凄く適当な理由をつけていた。

メディカル系の専門は忙しい。

夏休みなんてないのも同然。国家試験を受験するために、土曜日は模試なんかもある。

学校の先生のように付きっ切りで教えることは時間的にも不可能だ。


そんな中心強い味方が現れた。

OGで3期年下のSちゃんだ(当時19歳)

ここからの3年間、Sちゃんが物凄い成長を見せるし、二人三脚でやっていくパートナーになることを考えもしなかった。


彼女は大学の雰囲気になじめてなかった。入学して2ヶ月。大学が楽しくないという。

それなら!!!とこっちに引き釣り込んだ。

私には一緒に戦う相手が必要だった。

正直言って誰でもよかった。

私の肩にかかる責任やプレッシャーを分け合ってくれる相手なら誰でも。


当時M先生に代わって顧問になってれたN先生はバスケに関しては私以上に無知だったし、私がやるなら全てお任せします。ってスタンスだった。

いや、顧問を引き受けてくれるだけでも感謝だから、それについては何も言わないし、バスケなんて無縁の生活をし、運動部の顧問すらほぼしてきてなかった先生には本当に感謝しかない。


だからSちゃんが共にコーチをしてくれるだけで感謝だった。

しかし当時Sちゃんは相当に頼りない人物だった。

時間は守れない、人の前で話すのは苦手、そもそも人見知りだし現役の中に混じれるほどバスケも出来ない。なにより自分に自信がない。

私は現役のチームを一から作ると共に彼女の指導もしなければならなかった。


当時そこまでの意識を持って彼女に接していたわけではないが、結果そうなってしまったのである。

それは結果大変だったんだろうが、実に自分を楽にしてくれた。

学生の間、実に三年も私とコンビを組み、私がムチならSちゃんがアメ。

私が厳しい父親なら、Sちゃんがやさしい母親と本当に息の合ったコンビを組めたと思う。彼女が居なければここからの三年間こんなに充実することもなかったと思う。

私はここからの三年間の間に一度、国家試験で3ヶ月ほどチームを離れるのだが、その間も立派にチームを守ってくれた。

そして何よりSちゃんが居たから腐らずに、誠実に女子高生と付き合っていけた。

すでに当時教え子と私は先輩後輩とは言っても5つも歳が離れていたのだ。

Sちゃんが間に入ってうまくやってくれなかったら辞めていただろうと何度も思う。

彼女はそういう意味でも本当に心の支えになってくれた。


Sちゃんは今大手企業で立派にOLさんをしていて部活にかかわることはほぼない。

それでも未だ頑張って部活を続ける私を応援してくれているし、大会には応援で着てくれる。

今でもよき相談相手であり、3歳の歳の差を越えて良き友人の一人だ。