桑原實 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

こちらの方も「キンダーブック」関連で、一葉のみの作品掲載なのですが…。


桑原 實 くわばら みのる
1912(明治45)年3月10日
新潟県南魚沼郡塩沢町 生

1929(昭和4)年 新潟県立長岡中学校を卒業して上京、川端画学校を経て東京美術学校図画師範科に入学
1932(昭和7)年 東京美術学校師範科同期六名でスクラム社を結成し、第一回展を開催
1933(昭和8)年 東京美術学校図画師範科を卒業して、江戸川小岩小学校の図画教師となる
1934(昭和9)年 二科展に初入選
1935(昭和10)年 スクラム社を一軌社と改称
1937(昭和12)年 藤田嗣治、野間仁根を師とする二科系の懇親会的研究団体濤友会に参加して第一回展に出展
1942(昭和17)年 「キンダーブック」から改題された「ミクニノコドモ」第15集第7編で一葉のみ手掛ける
戦後は、昭和22年に二科会会員となり、画家活動も精力的におこないながら、昭和23年には技報堂より自著「図画の新しい教え方学び方」を刊行、昭和30年からは東京芸術大学で教鞭をとるなど、長きに渡って図画教育家として活躍した

1979(昭和54)年2月11日没 66歳


「ミクニノコドモ」の一葉以外は、これといって童画や挿絵を手掛けられている資料が見つけられず、
戦後の昭和24年に全国厚生文化農業協同組合連合会刊行の「保健」という雑誌に数回連載された逸見廣という人の「少年の夢」という小説の挿絵を同名の方が手掛けられており、おそらく状況的には同一人物かと思うのですが、
やはり明確な記述が見つからないので、取り敢えずは略年譜には載せておりません。
画像に関しては、「スクラム社」時代の結成同人六名が映った展覧会開催時のモノや、
昭和12年の「濤友会」の“同人”とされた写真などが当時の美術雑誌に掲載されていたモノがあり、いずれも写っているどれが誰なのか…といったキャプションや説明がなかったのですが、
二つのグループに共通して参加しているのは桑原實のみ。…とすると、どれが同じ人物なのか…と見比べて、
さらに、昭和16年に刊行された雑誌「造形教育」に掲載された『桑原實(新進圖畫敎育家のプロフイル1) 』といった記事にあった写真(こちらは明確に桑原實の写真と言えるのでしょうが、ちょっと画質的に先の二点より荒くなってしまうこともあって使用を見送り)や
昭和25年に美術雑誌「Art in education」に掲載された『兒童生徒クレパス画審査会』という記事の写真、
或いは昭和42年の「文芸春秋」に掲載されていた写真(この二つは戦後のモノという理由で、使用見送り)などとの対比したところ、
「濤友会」の写真のコチラでおそらくは間違いなかろう…と、使用しております。
昭和56年に毎日新聞社から刊行された「新潟の美術」にある記事でも紹介されているように、
「自分のように小・中・高・大学の美術教師を全部経験した者は珍しいと思う」と話されていたというのも、確かに凄い話でもあり、
そういった方であれば商業誌などのいわゆる「挿絵」といった仕事に関してはあまり手を出されなかったのかもしれません。