二口善雄 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

「観察絵本:キンダーブック」に執筆されていた画家の方からもう一人。


二口 善雄 ふたくち よしお
1900(明治33)年11月1日
石川県金沢市 生

1918(大正7)年 石川県立工業学校を卒業して上京、アルバイトをしながら本郷研究所でデッサンなどを学ぶ
1921(大正10)年 東京美術学校西洋畫科に入学
1926(大正15)年 東京美術学校西洋畫科を卒業
1927(昭和2)年 東京帝国大学理学部植物学教室に画工として勤務
1928(昭和3)年 「観察絵本:キンダーブック」で童画を手掛けるようになる
1929(昭和4)年 東京帝国大学理学部植物学教室のあった小石川植物園の園芸主任から声をかけられて植物画を描くようになる
1934(昭和9)年 養賢堂より刊行された小倉謙著「植物形態学」や誠文堂刊行の松崎直枝著「近世渡来園芸植物」の挿絵を手掛ける
1936(昭和11)年 第1回實存工藝美術會展覧會に出展し、翌年も続けて出展
1944(昭和19)年 文部省の「理科図集」の制作を始め、並行して国定理科教科書の植物画を手掛ける
戦後、米国からの教育使節の勧めで、それまで刊行できないでいた「理科図集」が出版されて全国の小学校に配布され、また数多くの植物図鑑や百科事典などの植物画を描き続けた

1997(平成9)年10月5日没 96歳


「観察絵本:キンダーブック」に執筆されてはいるものの、さすがにこの方を童画家というのはちょっとためらわられます。何と言っても長きに渡って植物画の第一人者として活躍されてこられた方で、
おそらくは子供の頃に見た植物図鑑などでも、その手による草花の絵もあったであろうでしょうが、
当時としては「この花の絵は誰が描いたんだろう…」などという発想などは全く持ち合わせることもなく、
ただ「キレイな花だなぁ…」くらいにしか感じていなかったであろうし、今更ながらにそれも写真ではなく、丁寧な絵画であったということに感銘を覚えてしまいます。
参照させていただいた資料も、
1992年に八坂書房より刊行された自著「画集 椿」掲載の年譜や
2001年にフェアリー・リング会刊行の「FAIRY RING植物画集」掲載の年譜を元にさせていただくなど、およそ植物画関連ばかりです。
画像も1959年に講談社教育図書出版部より刊行された浅山英一著「花の図鑑 (講談社の学習大図鑑 ; 5)」に掲載されていた戦後後年のモノですが、
やはり、若かりし頃から植物学教室などでお勤めされているような方だと、なかなか一般誌に写真掲載されるような機会も無かったのかもしれず、
まぁ、この写真だけでも目にすることができたのは幸いなのかもしれません。
「観察絵本:キンダーブック」に執筆されたのも、すでに植物学教室に入職した後で、
半年あまりの短い期間だったので、美術学校の先輩たちや同期だった内田巌などの声掛けなどがあってのことなのかなぁ…と想像する一方、
石川県立業業学校在学中の大正5年には、「農商務省第4回圖案及應用作品展覧会」で『陶器菓子器及漆器盆圖案』という作品が入賞しているよう…といった資料も
国会図書館のデジタルコレクションでは目にすることもでき、昭和11年の「實存工藝美術會展覧會」などへの出展などとつなげて考えてみると、
単に写実的な植物の絵だけでなく、工芸的なモノへの植物の表現などにも造詣深かったのなかぁ…と思うと、
同じキンダーブックの画家たちの中でも商業美術関連の人も少なからずいるしなぁ…と、さて、どういった話しから「観察絵本:キンダーブック」に関わることになったのやら…。
…まぁ、今となっては想像して楽しむことしかできないのかもしれません…。
フェアリー・リング会さんの「FAIRY RING植物画集」掲載年譜では、
昭和5年に綜合科學出版協會より本田正次・向坂道治共著「大綱日本植物分類學」の挿絵を手掛ける
というような記述もあり、上記略年譜の昭和9年の挿絵よりも前にあたるのですが、
こちらの書籍を確認することができていませんので、取り敢えず略年譜からは外しております。