辻愛造 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

いやぁ、毎日毎日ジメジメと鬱陶しい日々が続いております。
所によると、降雨被害などもあったりとしているようで、お見舞い申し上げます。
…で、そんな中ではありますが、新聞連載小説の挿絵も少しずつは進めているのですが、
思いの外難儀しております大阪時事新報あたりでも活躍されていたコチラの方を。


辻 愛造 つじ あいぞう
1895(明治28)年12月21日
大阪市南区順慶町 生

1911(大正元)年 赤松麟作に師事し、洋画を学ぶ
1915(大正4)年 上京し、太平洋画会研究所に学ぶ
1917(大正6)年 院展洋画部に初入選し、翌年も入選を続ける
1923(大正12)年 大阪の日本出版社より刊行された小松總一郎著「挿繪 童謡新集」の挿絵を手掛け、自著「クレオン自由畫帖」を刊行
1926(大正15)年 国畫創作協会展洋画部創設に参加
1927(昭和2)年 鳥海青兒、園部晋、向井潤吉、高岡徳太郎、坪内節太郎らと大阪洋畫協会を創立
1928(昭和3)年 国畫創作協会展第一部が解散することとなり、第二部だった洋画部は國畫會として改称継続して設立
1929(昭和4)年 國畫會会友に推挙
1932(昭和7)年 大阪時事新報連載の國枝史郎『生(いのち)のタンゴ』の挿絵担当
1934(昭和9)年 國畫會会員となる
1935(昭和10)年 大阪時事新報連載の岡野辰緒『白い虹』の挿絵を担当し、翌年も大木惇夫『處女戦線』の挿絵も手掛ける
戦後も没年まで國畫會展に作品を出品を続け、晩年は大阪の懐古風景をガラス絵を描き、海外にも紹介された

1964(昭和39)年6月3日没 68歳


大阪時事新報については、時事新報の大阪進出として創刊されながら、
なかなか独自の発展をされており、内藤賛が新聞連載小説の挿絵を手掛けていたという衝撃的な発見もありながら、
連載途中で他の画家に代わってしまったり、予告に写真は!?…と探してみても、残念ながら予告も通常のような形での掲載がなかったり(あぁ、何ということでしょう…)、

…否、他の新聞社と比べても挿絵画家の変更が結構多いなぁ…という印象がついてまわるような感じもあり、
同時に、関西で活躍している画家の方を取り立てていたりという、関東在住者にしてはちょっと資料収集もままならないところもあったりして、
これまでなかなか踏み込めていない感じもありましたが、
まぁ、コチラの方に関しては関西だけでの活躍でもなく、
没後の1965年に辻愛造ガラス絵画集刊行会から刊行された「辻愛造ガラス絵」掲載の年譜なども参照させていただいたくらい、
何とかなったのですが…それにしても、やはり、上記「辻愛造ガラス絵」には戦後後年の写真しかなく、
取り敢えずは、必ずしも画質が良いとは言えないものの、新聞連載小説の予告にあったモノを使用させていただきました。
と、言えるだけまだイイのですが、他の関西での活動を主とされていた方となると…と、いったあたりはまた次回。