立野道正 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

新聞連載小説の挿絵や、女性画家の方々のなかでも取り上げなければならない方はまだまだおられますが、
あまりにも暑い日々が続いており頭もうまく動いてくれておりませんので、
気分次第で、今回はコチラの方を。


立野 道正 たつの みちまさ
1894(明治27)年8月20日
埼玉県北埼玉郡水深村 生

1915(大正4)年 埼玉師範を卒業し、小学教師女學圖畫教師を経て
1919(大正8)年 埼玉師範の教師であった下中彌三郎を中心に埼玉県下の小学校教員らが結成した啓明会の機関紙「啓明」の表紙やカットを手掛ける
1922(大正11)年 三科インデペンデント美術展覧會に出展
1923(大正12)年 第2回未来派展出展に出展し、講談社刊行の「雄弁」や「少年倶楽部」などでも挿絵を手掛けるようになる
1926(大正15)年 下中彌三郎出資の文園社刊行「鑑賞文選」の表紙絵や挿絵を描く
1927(昭和2)年 平凡社より刊行され始めた現代大衆文学全集の「第7巻 小酒井不木集」「第8巻 長谷川伸集」「第21巻 沢田撫松集」「第28巻 行友李風集」などで挿絵を手掛け、翌昭和3年に創刊された雑誌「平凡」などでも挿絵を手掛ける
1936(昭和11)年 平凡社より刊行された「名作插画全集 第12巻」で水谷まさる作『淚の拍手』の挿絵を掲載
1938(昭和13)年 講談社の繪本などで童画を多く手掛けるようになり、昭和16年より「キンダーブック:觀察繪本」から翌年「ミクニノコドモ」と改題された後、戦後に復刊した後も絵筆を振るった

1948(昭和23)年12月24日没 54歳


上記略年譜にもあるように、これまでこのブログで何度となく取り上げさせていただいてきた昭和2年から刊行されていた平凡社の「現代大衆文学全集」や、昭和10年からやはり平凡社から刊行された「名作插画全集」、さては童画で言えば「講談社の絵本」や「キンダーブック」などでも活躍されていた方で、
これまで取り上げられずにいたのには、
何よりも、このブログを始めた頃、勿論早々に立野道正の名前はリストに上がっていたにも関わらず、
思いつくままにググってみたところ、一番に出てきたのが、
レファレンス協同データベースにあった2013年8月の事例です。
2020年12月に追記があり、生年月日などについてご親族より情報提供があったという素晴らしい展開があって、それまでの生没不詳から状況は良くなったものの、
国立国会図書館の調査でも、やはりあまり情報が無いんだなぁ…と、当時はなかなか手を付けられずに、あれよあれよという間に後回しになったまま、正直確認を忘れていました。
…そういえば、国会図書館のデジタルコレクションが更新されてからは、どうだったけ?と今更ながらに改めて調査してみると、
おぉ、ちょっと情報増えてるじゃないですか!
と、思い出したかのように、何とか形にしてみるまでになりました。
が、やはり画像はなかなか入手できず、ようやく1971年に新樹出版より刊行された池田種生著「プロレタリア教育の足跡 (新樹叢書 ; 1)」という書籍の中に見つけた画像も「啓明」の頃…ということは関東大震災前のモノ…かぁ…と、
その後の「挿絵」の時代に活躍されていた頃のモノよりは年代的に少し若いだけでなく、唯一この画像だけしか見つけられていないので、
「本当にこの人物が立野道正で間違いないんだよねェ…」と、直接本人資料で無いだけに、やや不安な気持ちも残らざるを得ないままだったこともあるのですが、
まぁ、一応信じておくとしようと、今回引用掲載させていただきました。