福田新生 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

キンダーブックで童画を手掛けていた方々をその社史などから拾い出して色々と資料を見返してみたりしていても、中々思うように捗りません。
…が、先日、同様に「思うように捗らない」としながらも以前ブログアップしていた太田雅光の所に思いもよらないコメントをいただき、
少し情報更新することができたという夢のような嬉しい出来事もあり、
思い通りになってなくても、少し踏み出すことで何らかの幸運に出会えるかも…。犬も歩けば棒にあたる事もホントにあるんだね…と思わせてくれることもありましたので、
あまり“満足”にこだわり過ぎないでもボチボチ進めてみることも考えていきたいと思います。
で、太田雅光を少し更新させていただいたのに合わせてこちらの方も。


福田 新生 ふくだ しんせい
1905(明治38)年3月3日
福岡県小倉 生

1922(大正11)年 福岡県豊津中学校を卒業
1924(大正13)年 川端画学校在学中に第11回光風会展に初出品し、翌年の第12回光風會展で光風賞を受賞
1925(大正14)年 第2回槐樹社展で槐樹賞
1926(大正15)年 川端畫学校を卒業し、第7回帝展で初入選
1927(昭和2)年 第8回帝展で連続入選し、翌年も入選するが、このころより雑誌「文芸戦線」などでプロレタリア美術運動に参加するようになる
1929(昭和4)年 「コドモノクニ」で童画を手掛けるようになり主要画家の一人となる
1933(昭和8)年 「キンダーブック : 觀察繪本」でも童画を手掛けるようになり、また、牧野虎雄主催の旺玄社新会員となるが翌年に退会
1935(昭和10)年 川島はるよ、松山文雄、安泰等が設立した新ニッポン童画会に加入
1939(昭和14)年 北海タイムス連載の実兄鶴田知也の『夏』の挿絵を担当
1940(昭和15)年 第3回一水会展に出品して岡田賞受賞し、以降も一水会に出展を続ける
戦後も昭和21年に一水会会員となり、後に役員なども務め、昭和23年第4回日展では特選を受賞し、日展審査員を度々務めた

1988(昭和63)年1月9日没 82歳


戦後も童画や挿絵の仕事もされていたこともあるのですが、昭和28年には作家として読売新聞に『パシリカの宝石』という作品をを山口将吉郎の挿絵で連載ていたり、
帝展出展などされていながら、プロレタリア運動にも参加し、文筆なども多く残されている方なのうえ、戦中は満洲にも行かれてその辺りについてはそこそこ「満洲に詳しい」と評されていたり、等々…。
全部まとめるにはこのブログの略年譜スペースではとても覚束ず、何となく中途半端な感じがして仕方ないのですが、致し方なし。
画像は1957年に筑摩書房より刊行された「現代日本文学全集 第86巻 (昭和小説集 第1)」に収録されていたプロレタリア芸術関連の方々の写真の中に移り込んでおられたモノをトリミングカットしておりますので、
手前には岩藤雪夫がかぶってしまっておりますが、北海タイムス連載の『夏』の予告にあった画像や、戦後の雑誌に掲載されていた写真よりは、当時資料としては…やはり今のところはこれで仕方ないかな…としております。