吉澤廉三郎 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

鈴木保徳とは東京美術学校の同窓だったこちらの方を。


吉澤 廉三郎 よしざわ れんざぶろう
1893(明治26)年7月15日
新潟県小千谷本町 生

1911(明治44)年 新潟県立小千谷中学校を卒業し、東京美術学校西洋畫科に入学
1916(大正5)年 東京美術学校西洋畫科卒業(同期に清水良雄、寺内萬治郎、耳野卯三郎、鈴木保徳らがいる)し、図案会社アポロ社に入社して幼年絵本、童画などを描く
1922(大正11)年 平和博覧會美術部門に出展
1930(昭和5)年 「觀察繪本 キンダーブック」で童画を手掛けるようになる 
1933(昭和8)年 「主婦の友」でも挿絵や口絵などを手掛けるようになり、昭和10年には一年間表紙絵を担当した
1935(昭和10)年 第7回第一美術協會展に出展し、翌年の第8回展にも続けて出展
1939(昭和14)年 金の星社より刊行の「ひらがな童話集」「カタカナ童話集」などで筆を振い、また講談社の絵本シリーズでも多くの童画を描く
1940(昭和15)年 「家の光」の表紙絵を手掛ける
戦後も「少女クラブ」「家庭エホン」「良い子の友」などの雑誌で子供向け読物の挿絵や表紙絵を手掛け、復刊した「キンダーブック観察絵本」でも多くの童画を手掛けた

1967(昭和42)年3月8日没 73歳


2012(平成24)年に、生誕地新潟県の小千谷市市民学習センター「楽集館ギャラリー」というところで、「画家 吉澤廉三郎の多彩な世界」展という回顧展が開催されていたようで、その開催の際に刊行された図録などを参照させていただきました。
画像も同図録では「在りし日の吉澤廉三郎」と撮影年代不明の画像ではあったのですが、
キンダーブックを刊行しているフレーベル館の「フレーベル館100年史」といった社史の中にあった「昭和7年のキンダーブック編集会議出席の方々」といった集合写真の中に並ばれていたモノと印象的にそう変わりなく感じられたので、
集合写真からのトリミング引き延ばしではさすがに画質が…と思われましたので、こちらを引用させていただきました。
図録では、戦後、キンダーブックの為に描かれたシュバイツァー博士の肖像画について、シュバイツァー本人からの書簡が寄せられたことなども、押されております。
掲載されている「プロフィール」とされた略年譜では、
大正5年にアポロ社という図案会社に入社後も油絵制作を続けるとあり、その横に(第一美術協会会員)とあるのですが、
第一美術協会は昭和4年に設立されたはずなので、このような表記はどうなんだろう…と気になるところでもあったりするのですが、
では実際にいつから入会されたのか…となると、明確なところがよくわかりません。…ですので、一応、当時の美術雑誌などで見つけることのできた第一美術協会展への出展記録を付記しておくくらいが現状なんとかできるところ。
しかし、まぁ、何よりも、11年の歳月をかけて、ようやく展覧会の開催にこぎつけたとの記述を見ると、こうした資料をまとめることがいかに大変か…、そしてそれでもやってくれていたことに何よりも感謝を感じざるを得ません。