甲斐仁代 | 襟裳屋Ameba館

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訳あってこちらにもブログらしきもの作らせていただきました。

では、コチラの方もこの際やっておきます。


甲斐 仁代 かい ひとよ
1902(明治35)年11月2日
佐賀県佐賀市赤松町 生

1916(大正5)年 父親の中国山東省の青島転勤で家族とともに移り住む
1919(大正8)年 青島女学校卒業後、画家を目指して同郷の岡田三郎助を尋ねて単身上京し、東京女子美術学校西洋画科高等科に入学
YWCA寄宿舎で生活を始めて吉屋信子と出会う
1922(大正11)年 東京女子美術学校卒業し、青島に帰郷
1923(大正12)年 中国から帰国し、第10回二科展で初入選するが、関東大震災により地方での開催のみとなるが、以降も二科展に出展を続ける
1925(大正14)年 深澤紅子らと東京女子美術学校出身者で婦人洋畫家協會を設立
1928(昭和3)年 創刊された「女人藝術」にカットや挿絵などを描くようになる
1931(昭和6)年 第6回春臺展にも出展
1932(昭和7)年 深澤紅子、藤川榮子、島あふひ等と婦人美術協会を設立
1933(昭和8)年 讀賣新聞に連載された矢田津世子、眞杉靜枝、林芙美子らの連作小説「女」の挿絵を手掛ける
1937(昭和12)年 福岡日日新聞連載の濱本浩『人間曲馬團』の挿絵を担当し、また、前年設立された一水会展に出品、以降出展を続け、戦後も昭和22年に会員となって活躍を続けた

1963(昭和38)年7月28日没 60歳

前出の中出三也の夫人でもあった方で、写真も同じモノからのトリミングです。
戦前はいろいろと当時の雑誌や新聞紙上でも取り沙汰されていたものの、
戦中以降、袂を分かつことになったあたりの経緯あたりからは、さっぱりとわかりません。
まぁ、個人的な事にアレコレ興味本位で気にかけても…とも思いますのであまりこだわってはおりませんが。
とは言え、この期に及んで気にかかるのは、やはり、所謂「女性誌」関連に関しての調査があまりにも足りていないよなぁ…と、
女性画家の方々を見直すたびに気に掛かって仕方ないのです。まぁ、「女性誌」だけに限ったわけではありませんけど…。
茨城県常陸大宮市泉にはアトリエに眠っていた作品を展示販売されているという「ギャラリー甲斐仁代」さんというところもあるようで、
こちらのホームページなども参照させていただきました。