こんにちは、イトウエルマです。
今回のブログのテーマはabemaTVで観た、
「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」です。
下記はDVDのサイトです
旦那もいい映画だと感動してました。
本物の力の凄まじさよ!
本場ボリショイを舞台に本物のボリショイのプリマやバレリーナの演じる本作は
バレイとは無縁だった己の心をも震わせてます。
脳内には常にチャイコフスキーが流れっぱなし!(笑)
と、バレエの素晴らしさに触れられるのがウリである本作ですが、
私がもっともしびれているのはストーリー部分。
特に人のリアルな心の動きを
観る側の想像力を信じ、余分な情報を取り去って表現している。
説明を極力控え、観る側に委ねる部分も多く……と聞くと、
ああアート系の難解映画ね、私はキライ!と思われるかもしれませんが
そうではない!
大袈裟で嘘くさい演技を取り払って残ったのが
この言葉、この演技、この場面になったのだな、というのが
きっとお分かりになるかと思います。

5回も6回も観て、発見があるのはそういう理由なのです。
ということで、
この映画の素晴らしさ(というか個人的感想を)どこかにぶちまけたい!
というのが今回のブログの趣旨。
あの場面はこういうことだったのでは。あの表情はこういう気分だったのでは、
などなど主観だらけで語るネタバレ解説のブログなので、
「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」をご覧になってから
ぜひお戻りください。
いやいや気にしない、自分は内容を把握して観る派だよ、
という方はこのままどうぞ。
それなら何度も見ずとも楽しめるかも!?
とてもお薦めな映画です!
夢を叶える人、その夢に手を貸す人の
心の有り様も描かれていていろいろ腑に落ちました。
この映画はいわゆるロシア版「リトル・ダンサー」。
つまり貧乏家庭の子供が自分の環境とは真逆にあるバレエの世界で
一流のダンサー(プリマ)になるまでの一発逆転を描く物語。
田舎の炭鉱町の超ど貧乏家族に生まれた少女ユリアが
ボリショイのバレエ学校に入学、プリマになる……。
え「リトル・ダンサー」と一緒じゃん!?
いえいえ。大きく違う!
「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」を見た後では
「リトル・ダンサー」はダンサーになるために必要な要素の
1%も描いていないことに気づくことでしょう。
「リトル・ダンサー」は少年のダンスの才能に気づいた先生と親がバレエの名門校に入れるために苦労するお話で、少年がロンドンのロイヤルバレエスクールに入るまでを描いたに過ぎない。(最後に大人になった少年が成功したシーンを挟んでおしまい)つまり入学までの少年の周りの奮闘を描いた映画なのでした。
翻って「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」の場合はステージに立つまでに本人がぶち当たる壁が描かれている。だからリトルダンサーで大きく割かれていた入学に至るまでの貧乏困難乗り越えシーンはあまり多くないです。そこを描き過ぎるとリトルダンサーのパクリになってしまうし、ロシアの貧困家庭の有り様が悲惨すぎてバレエ感が薄まるからかもしれません。(挿入の仕方も時系列を無視、主人公ユリアの心の動きに合わせてシーンが差し込まれる程度。結果、何度も見直す羽目になる!ですので、このブログを読んでから観るくらいがちょうどいい 笑)
あらすじはざっくり以下になります。
ロシアの殺風景な田舎の炭鉱町に暮らす一家。炭鉱で働く父親は楽天的で生活感がなく(アーチスト気質ですよね)、組み立て工員の母親はアート全般への理解に乏しく生活苦でいつもイライラしている。子供は(当時)2人(のちに双子が生まれて家計を圧迫する)。少女ユリアはスリ仲間とつるんでいる。ユリアが踊って人の気を引いている間に相方の少年がポケットの財布を狙う。少年がしくじりユリアは捕まるがその時の被害者の男性が元ボリショイのバレエダンサー。ユリアの踊りの才能に惚れて、ボリショイバレエ学校の試験を受けさせるために特訓したりお金を苦労して作ってくれてモスクワまでの付き添いもしてくれる。で、ここからがこの映画の見どころ(ここを本ブログでじっくり説明します)。無事、ユリアはボリショイバレエ学校に入り、才能を開花させるも道のりは厳しく、母親の理解のなさや若さゆえの至らなさもあって、プロになっても回り道。ラストで、代役でプリマとしてボリショイの舞台に立つチャンスを得て羽ばたこうとする瞬間までが本作、となります。
それでは本作の魅力にじっくりと迫っていきましょう!
(ねちねちとストーリーを追っていきます。何度も申し上げますが、ネタバレだらけです)
この映画は主人公ユリアが
「だれのために踊るのか」「どうして踊るのか」
が軸になっています。
最初のシーン。
実は一番最後のシーンに繋がる大切なカットです。
みんなが引き上げたあと、1人ストレッチに励む女性。それがユリア。
このストレッチの間に、彼女は自分がボリショイバレエ学校の門戸を
叩いたときのことを思い出します。
思いを馳せている理由は映画の最後に分かります。
ユリアのボリショイバレエ学校の入学の決め手は
生きるための(盗みのための)踊りでした。
雪の積もる田舎町のバス停に鳴り響く安っぽい音楽。
身体能力を駆使、踊る喜びを弾けさせていたユリアのダンスに魅入られた男。
元ボリショイの中心的なバレエダンサーだったポトツキーは
ユリアの踊りに類稀なバレエの資質を見出した!

ポトツキーは自分が財布を盗まれそうになったにも拘らず、
ユリアを少年院にはいかせず、自分のスタジオ(ナイトクラブ)で特訓することにする。
そしてモスクワに連れていき、知古のガリーナに頼んで
ボリショイバレエ学校の試験にユリアをねじ込みます。
才能×喜び×実益によって生まれたユリアの踊りは強力な武器でした。
一見すっとんきょうな振り付けでも、
本物を見抜く人の心をがっちりと捉えました。
まずバレエ界の重鎮ガリーナが引き込まれ、
ピアノの先生も引き込まれた。
他の先生方も釘付けに。
幼少期のユリアのダンスにはもう一つ、強力な力がありました。
この魅力に、我々は映画の最後に気付かされることになります。
バレエ学校の頂点に君臨するガリーナがユリアの学校生活を密かにバックアップします。
ガリーナは伝説のバレリーナで、家にはピカソが描いたガリーナの肖像画が飾られています。
この、ガリーナを演じる女優アリーサ・フレインドリフの演技が素晴らしい。
バレエ界の重鎮然とした品格ある態度の中に
突如混じりだす認知症の演技がリアルなのにコミカルで、楽しい。
認知症の演技は真に迫れば迫るほど痛々しくなるものですが、
ガリーナの場合はそれがなく、ちょっと笑える。
記憶が飛んで思い出せない自分のしょうもなさに気づくと
妙に年寄りくさくなって反省モードに入ったり、
また女王に戻ったりと、表情がころころ変わって、憎めない。
ガリーナは私がこの映画で一番好きなキャラです。
ガリーナが、ユリアを気に入って全力でプリマに推し続けるも
認知症気味ゆえに周りに迷惑をかけまくって事件を巻き起こし続ける、
というのが前半の見どころのひとつでもあります。

ユリアをプリマにするためならバカを認めて逃げ切ろうと
認知症を逆手に取った返しに出るガリーナに脱帽!
ガリーナがどうしてユリアに執着するのか。
それは、ガリーナが常々、この子となら死ねると思える
バレエダンサーを育てたいと思い続けてきたから。
そしてようやく、そう思える子に出会えたから。
己のできる全てを出し尽くして後に、
ガリーナは死を迎えることになります。
ところで、この映画のタイトルは「ボリショイ・バレエ 2人のスワン」です。
つまり主人公ユリアの他に注目すべきバレリーナがおりまして、
それが、カリーナ。ユリアのライバルです。
ライバル、というとバチバチになるのが普通の展開ですが、
カリーナがひたすらバレエに真摯なのとお育ちがよいこともあり、
2人の間には緊張感よりも切磋琢磨してお互いを高め合う
よい関係が築かれていきます。
カリーナは小さい頃からバレエ一筋でいつでも優等生。そして純粋。
キスすると唇に毛が生えるとかセックスすると踊りが下手になる、
というバレリーナ都市伝説を信じている。
カリーナは魅力的でもあります。
モスクワの裕福な家庭の子で優美なカリーナには、
親が認める婚約者が何人もいる。
けれど本人は男性には興味なし。
バレエ学校でもカリーナは男性を惹きつける。
特にバレエは愛の表現を全身で、身体を密着させたりして共に作り上げることもあり、
相手役は平常心になれなくてリフトができなくなる。
その相手役の男の子がミーチャ。
ミーチャがカリーナをリフトできない理由が自分に恋心があるのだと知ると
(事務的な)愛の告白をして胸を触らせ、下を触らせ、キス(唇は避ける)もして、
自分に触れるのを慣れさせようとする。

バレエでの情感極まる表現で自分に迫ってくるカリーナと
リアルのそっけないカリーナとの落差に、
ミーチャは心のどこかで悟ったはずです。
カリーナは男より、まずバレエなんだな。
都市伝説も信じちゃうくらいにバレエが優先なんだな、と。
(口で言うけど俺と恋もセックスもする気ないな)
後に、ミーチャは陰で彼女のことを「機械」と呼ぶのですが
それにはこの時の経験があるのだと思われます。
男性からすれば気持ちの入らない機械でしょうが、
同性の私からみると、禁欲的で献身的なカリーナは真の聖女。
バレエが神で、ボリショイが大聖堂で、バレリーナが信徒なら、
彼女にはひたむきに神を信じ続ける意志と強さがあります。
カリーナには傲慢なところがありません。
貧乏人で田舎者のユリアを差別するようなこともなく
ユリアの実力を素直に認めて付き合う相手を
人間本位(バレエ本位!?)で見る人物です。
そして二番手になっても腐ることなく憤ることもなく
ひたすら諦めずにバレエに己を捧げる姿勢は神々しい。
カリーナのママはラスボス感半端ないですが、
娘さんの教育は本当に素晴らしいとしか言いようがないです。
役柄としては二番手的な扱いになっていますが、
カリーナのバレエは指先足先まで息を呑むような美しさで、うっとりします。
方や、ユリアは俗物的です。
ガッツはありますがガサツで口は悪いしカリーナからは酔っ払い扱いされている。
男の子への興味を抑えられない。
情緒がぐちゃぐちゃに乱されたタイミングで
電車で出会った行きずりの男の子とのセックスに溺れ、
彼の部屋に入り浸るようになります。
そして、最も重要なプリマを決定するリハーサルに大幅に遅刻してしまうのです。
それもあって、プリマがカリーナで決まりそうになるのですが、
ここでバレエ界の重鎮ガリーナが奥の手を使う!
それが、クレムリンにいる人物に直訴という手段。
あの、マイクのずらりと並ぶ長テーブルのエンドに座っていると思しき人物が
(元恋人の)ガリーナの願いを聞き入れる。
(この相手って大統領ですよね!?
Yes No では答えず揚げ足を取られない返しをしてくる感じが
いかにもプーチンさんでしたが、ロシアってこういういじり、アリなの!?)
見えざる力により、卒業公演のプリマがユリアに決定するのですが、
公演前の休みに実家に戻ったユリアは父の炭鉱での事故死後、
ますます貧しくなった家族の様子を目の当たりにしたことと
母親に(親不孝者だと)なじられたことで
ガリーナの母親からの提案を受けることにします。
それは大金と引き換えに卒業公演のプリマを辞退するというもの。
そうすれば、中学生の弟の学費も払えるし病気がちな双子の小さな弟達も治療ができる。
卒業公演でプリマとして舞台に登場したのはカリーナで、
公演の間、ユリアはもらったお金を送金。
その後は生きるか死ぬかの賭けに出ます。
屋上から道路を挟んで隣の屋根まで飛び越える、という
ガリーナの都市伝説にユリアは挑戦したのです。
不可能だとみんなで言い合った、向こうの屋根まで、
ユリアは飛べた!
そして翌日、バレエ学校では息絶えたガリーナが発見されたのでした。
(ガリーナが死んでもいいと思える生徒のために最後の力を使った!?)
時は流れて、カリーナは世界的バレリーナとしてボリショイの舞台で輝き、
ユリアはボリショイの舞台の二列目で印象に残らないバレエを踊っています。
ユリアのモチベーションは低く、かつてガリーナから教えを受けて彼女から特別にイヤリングをもらったことだけが自慢、現状に甘んじて奇跡を待つ、現実逃避の酔っ払いになっていたのです。
やる気の感じられないユリアに喝を入れた人物、
それが幼少の頃からのユリアの王子様で、
白鳥の湖の主役としてフランスからボリショイにやってきた、
アントワーヌでした。

憧れの人にバカよわばりされるユリア。
「40歳では毎日自分のバレエが失われる」(時間は無限ではない)
「バレエは止めるのは難しいどころか不可能だ」(好きなものからは離れられない)
「君のようなバカは飲まなきゃ踊れない」(中途半端な奴だな!)
アントワーヌのいうことがグサグサとユリアにささります。
酔っ払いのバレエダンサーに将来がない。
ユリアには身近に実例がいました。
それは自分をモスクワに送り出してくれたポトツキー。
ポトツキーは酒に溺れてボリショイの舞台に立てなくなり、
ユリアの故郷、シャフチンスクのナイトクラブで
セクシーな格好の女性達に踊りをさせて男たちから金を巻き上げるしかなく、
そんな自分を恥じてさらに酒に救いを求めて酔い潰れていた。
トポツキーがユリアにバレエレッスンをしていたのもそのナイトクラブ。
ここでユリアを見守り、アル中のトポツキーの代わりに
お金を管理していた女性がいました。
彼女のユリアへのはなむけの言葉が「この町には戻ってこないで」。
彼女もモスクワにいたことがあるのでしょう。バレリーナだったのでは。
この町以外で生きる可能性を知らなければ出てこない言葉です。
華やかな経歴のないユリアはポトツキーどころか
シャフチンスクに戻って彼女同様にバレエとは程遠いダンスを
踊る未来もありえた。
翌日もアントワーヌはユリアを説教、
公開処刑をくらったユリアはギャン泣き。
ここで火がついて、大勢の中の1人でいることを止めて、
自分のバレエに向き合い始める。
レーナはユリアやカリーナの同期。
自分よりも下と見た人には嫌味をかましてくる一癖あるタイプで
ユリアはレーナを疎ましく思っている。
技術指導の先生に逆らって退出させられたユリアにニヤリとするレーナ。
ライバルが減って喜んでいるように見えたのですが、
そうではなく、ユリアの実力と気性を知りつくた同期ゆえの気づきだったのだろうと
今は思っています。
モブでいるのをやめて個性や自分の身体能力を表現しだしたユリアは
アントワーヌの前でプリマのカリーヌにも張り合って、自分をアピール!
その甲斐あって、カリーナの演じるオデットの代役に抜擢されます。
一番最初のシーン、みんなのいなくなるタイミングでひとりストレッチをしていたユリアの自主練習がここと繋がります。
コールドバレエの一員としてステージに上がる選択を断ち、アントワーヌの前で自分の本来の力を見てもらうために、陰でストレッチ、基本の基本から体をほぐしていた。この裏の努力により、ボリショイを代表するプリマでかつて競い合ったカリーナに並んでアントワーヌの前でアピールすることができたのです。初心に帰ってストレッチをしていた折に思い出す昔の自分が、ここまで映画が繋いできたシーンだったのでした。
アントワーヌとただならぬ関係になっていたカリーナは
オデットの代役に抜擢されたユリアに嫉妬。
マウントを取り始めるのですが、その時初めてカリーナは、
カリーナが卒業公演で射止めたプリマの座が自分の母親の金によって得られたこと、
不可能と思われたガリーナのジャンプをユリアが飛んだ話を、ユリアから聞かされます。
カリーナはオデットを代役のユリアに譲ることを決心、
公演当日に出演を辞退します。
突如降ってきたプリマの座に動揺するユリア。
「カリーナはチャンスを返した」
「ずっと主役でいられると思う?そんな夢は捨てて」
「夢物語はない」
同期で今は衣装係のターニャの励ましの言葉は
そっくりそのままカリーナにも当てはまる。
「カリーナにとっても夢物語ではない。
アントワーヌは奥さんの元に帰ってカリーナは残される」
ところでカリーナの決断もなかなか大きいものですよね。
プリマの座を、しかも相手役がみんなの憧れで自分の想い人の
アントワーヌのタイミングで手放すことってありえるのだろうか。
ありえるのならカリーナの気持ちはどういうものなんだろう、
というのを考えてみました。
ユリアはとどのつまり、お金のためにプリマを手放し、
将来の生活不安もあって再びプリマを目指すのですが、
カリーナの場合はお金や生活の心配はない。
バレエに関しては一点の曇りもない自分でいたい。
バレエにだれよりも真剣であることが己のアイデンティティである
聖女カリーナだからこその決断だったというのが、ひとつあると思います。
もうひとつ、カリーナの心を動かしたのは、
お金と引き換えに死の覚悟がないと飛べないガリーナのジャンプを飛ぶほどに、
プリマの座を失ったユリアの悲しみ、バレエへの思いが痛いほどわかったから。
それを仕向けさせたのが最終的には自分の母親だった、というのもショックなことです。
あとはアントワーヌを好きになりすぎて、辛い、というのもありそうです。
尊敬できる憧れの人が自分の前に現れて、自分が女であることを教えてくれた。
頭が彼でいっぱいになってしまって自分のバレエができていない。
嫉妬で自分を制御できず清らかであったはずの己の人格が歪んでしまっているのにも気づいていた。そもそも彼とは結ばれる未来はない。
男よりも何よりもバレエでありたい聖女カリーナ。
リセットのための決断だったとも言えるでしょう。

バレエ学校の屋上の内省部屋に佇むカリーナもまた、
幼少のころの自分を取り戻していたのでは。
メイクも終わったユリアの楽屋にアントワーヌがやってきた。
アントワーヌは毎回、図らずもユリアの人生の糧になる話をするのでご注目!
アントワーヌは若かりし日にボリショイの舞台の袖で出会った少女の話をする。
それがユリアだったとも気づかずに。
「彼女の目は夢で輝いてた。踊る強さと自信をくれたから彼女のために踊った」
「誰のために踊るのか、それを考えればいい」
アントワーヌに踊る強さと自信を与えるほどに、夢で輝いていたユリアの目。
それはどんな瞳だったのでしょう。
私が思ったのが、あのバレエ学校のオーディションでも披露した
才能×喜び×実益によって生まれたユリアの踊りの魅せる眼、だったのでは。

ポトツキーもガリーナも、踊りだけではない、
あの瞳に魅入られていました。
同じものをアントワーヌも見出していた、ということでしょう。
「誰のために踊るのか」
直後、画面にはガリーナがくれたイヤリングがあり、
それをユリアがつけた。
ユリアはガリーナのために踊るのです。
回り道でしたがユリアにとってはすべてが必要な試練だったと思います。
ポトツキーの悪いところを受け継いで酒飲みになっていたし
ポトツキーの誠意やガリーナのえこひいきのおかげで
自分に夢物語が巻き起こるのが当たり前になってしまって
舞台の真ん中に立つ覚悟と責任が卒業時点ではできていなかった。
そうしたバレエダンサーとしての心構えのなさをアントワーヌに指摘されて奮起!
心を入れ替えることができた。
ガリーナの望む素晴らしいバレリーナとなるユリアの未来は
ガリーナの死によってもたらされたともいえる、
ガリーナの夢を結実させた大切なシーンでありました。
私が一番好きなシーンはラスト3分、ユリアが舞台袖から舞台へと出ていくまでの
スローのカメラワークです。
舞台袖にやってきたユリア。待機するバレリーナたちの表情にうっすら浮かぶのは
嫉妬や嘲り、失笑。
その中で本当の笑顔を向けるのがミーシャ、レーナ、そしてターニャの3人でした。
幼いころから切磋琢磨してきた同期の本当の心が、ユリアにとってのここ一番で見えた!
この映画は言葉を使わず表情やアングルなどで観る側の想像を補うことで
ストーリーを完成させています。その手法がもっとも効果的に出ているシーンだと思います。
以上があらすじ考察でした。
<ユリアの故郷、シャフチンスクと時代背景について>
ユリアの故郷、シャフチンスク。
正確にはノヴォシャフチンスク(新しい鉱山の町)。カザフスタンにもシャフチンスクという地名があったので、ユリア、わざわざカザフから来てるの!?と思ったのですが違った(笑)
カザフもソビエトだった時代に誕生したのでこっちのシャフチンスクにノヴォ(新)がついたのだと思いますが、ロシアではシャフチンスクでOKなんですね。ウクライナ・ドンバス地方との国境付近にあるこの町が炭鉱を産業にしていたのは2003年まで。2003年に大事故があったことで閉鎖されたそうです(wiki情報)。ユリアの父が亡くなったのもこの事故と思われます。ということでユリアがモスクワに来たのは2003年前、弟たちの成長具合からすると、ユリアがモスクワに来てすぐに父が亡くなったのではないかと。炭鉱がなくなったことで町の産業構造ががらっと変わり、石油製油所が町の基幹産業に。ユリアの母が家政婦をしていた家の住人は言葉も丁寧で食べ物も洗練されていたようなので、都会からきた石油製油関連で働く人の家庭だったのではないかと想像します。そのシャフチンスクも現在は石油製油所がウクライナからのドローン攻撃を受けていて、複雑な気持ちになります。
素晴らしい映画なので、ぜひご覧いただけたらと思います。
そして私は世界の平和を願いながら、
カーシャの代わりにおそばを啜っています。