診察にも行って質問もしてきたし、今後の流れについても書きたいのだけれど
また来週あたりに書きます。
もうすぐわたしは誕生日を迎える。
先日、中学生のときに先生に「人生計画書」を書かされた話を書いたけれど
それによると40で死ぬことになっていたが、
どうやら41までは生きたことがほぼ確実となった、
あと数時間以内に隕石でも頭上に落ちてこない限り。
19のとき、毒母に奨学金(お役所から借りた「借金」)を
使い込まれ、退学させられ、就職したはよいがまたもや母のせいでクビになって
(このエピソードはこのブログに何回か書いている)
もうどうしていいやら分からない、絶望すらしてられない、
とにかくお金を作るしかないと夜の商売を始めた頃に
ちょっと付き合ってた人に言われた言葉があるんだよね
(もちろんわたしの事情の概要は知っていた)。
先が見えない、つらい、このままだと自分はどうなってしまうのかと
嘆いていたときに。
「君みたいな年齢の子が、1年後どうしてるかなんて分かるような生き方を
していちゃいけない」
あのときはあまり深く考えていなかったけど(というかきれいごとに思えて
全く響かなかったんだと思う。
ちなみにこの人はわたしより一回り以上上の公務員だった)、
でもまぁ、「常にわくわくするようなことを見つけられるといいね、
失敗なんて気にせずに生きても許される年齢なんだからさ」、
って意味と受け取った。
あれから約20年後の今・・・1年先のことどころか
老後まで見据えないといけない年齢のわたしがガンになって、
一年後どうしているか本気で分からなくなっている。
闘病記をこのブログに設けてから2週間、
1a1期で死ぬだのなんだの遣り残したことを云々なんて早計すぎると
思った方も少なからずいるだろう
(今日の診察でそれは暫定的なステージであって断端が陽性である以上
もう少し行っている可能性が否定できないということだったが)。
けどわたしの運の悪さはありがたくないことに折り紙つきなのだ、
運が悪いという言葉はあまり適切ではなく、
ひょっとしたら自分がそういう風に生きてしまった必然の結果なのかもしれないが
とにかく何度も書いている通り、毒親育ちをこじらした結果、
なんでも先回りして考えないと落ち着かない、
最悪の事態を想定してとりあえず準備する癖が抜けないのだ。
20歳くらいの頃友達に「あんたは自分の不幸から抜け出せない気がする」
と言われた
(正確には手紙に書いてあった)。
これにはガツンときたよ。図星だったから。そう思ってたから。
その子も家庭に問題がある子だった。
無神経でこんなことを言い放ったわけじゃないのがすごくよく分かって
余計ガツンと来た。
手紙は「それでも楽しく生きていけることは出来るでしょ、自分次第っしょ」
って結ばれてた。
普通、ガンを告知されたなんて人生で1,2を争うくらいの
ショックな出来事なんだろうと思う。
身近でガンで亡くなった方を知らない(毒母以外)ので分からないが。
なんかまた歪んでると思われそうだけど、1,2を争うほどのショックじゃないなと
思ってる自分はおかしいと自分でもよく分かる
(ショックはショックですよ、当然)。
それほど子供時代からひどすぎることがあったからだと思うし
最愛の人に捨てられたときほどのつらさもない(比べるものじゃないけどね)。
告知された日も普通に腹が減りご飯食べたし寝れた。
ショックで寝込んで布団から出られない日もなかった。
出たくない日はあったけど家事をしないと・・・と思ってやった。
軽く精神病持ちだけど最近は落ち着いてきてたまに安定剤飲むくらいなんだが
別に薬の量が特に増えたわけでもない。
なんか変な作用が働いてるのか?ショックなのにショックじゃないように脳みそが
誤作動(?)してるみたいな。
分からない、分からない。
普通に60歳くらいまでは生きると思ってた。
勝手な思い込みだけど大きな病気も大きな事件もなく、
すごく楽しいことも特にないけれども困窮まではせず
なんとなく適当に生きるかと。
少なくとも極度の不潔、不摂生だった毒母よりは長く生きるだろうと思ってた。
毎日煙草を5箱、運動も仕事もせずに毎日ほぼ横になってるだけで
ジャンクフードと甘い菓子、飲料しか飲まず、超肥満体のアメリカ人みたいで
趣味もなく虐待に明け暮れる毎日なのに
いきなり末期がんを宣告されるまで大きな病気もせずに
60半ばまで生きたあの人よりはね。
1年後どころか1ヵ月後のことすら分からないわい。
調べなきゃいけないことはいっぱいあるのにその欲しい情報になかなか
たどり着けなくてちょっといらいらしている。
一人で一人のために頑張るのってなんだか滑稽な気すらする。
明日は前から予定したところに出かけてくる。
それ以後の楽しみの予定がないから、終わったらどっと気が抜けそうで怖い。
また来週あたりに書きます。
もうすぐわたしは誕生日を迎える。
先日、中学生のときに先生に「人生計画書」を書かされた話を書いたけれど
それによると40で死ぬことになっていたが、
どうやら41までは生きたことがほぼ確実となった、
あと数時間以内に隕石でも頭上に落ちてこない限り。
19のとき、毒母に奨学金(お役所から借りた「借金」)を
使い込まれ、退学させられ、就職したはよいがまたもや母のせいでクビになって
(このエピソードはこのブログに何回か書いている)
もうどうしていいやら分からない、絶望すらしてられない、
とにかくお金を作るしかないと夜の商売を始めた頃に
ちょっと付き合ってた人に言われた言葉があるんだよね
(もちろんわたしの事情の概要は知っていた)。
先が見えない、つらい、このままだと自分はどうなってしまうのかと
嘆いていたときに。
「君みたいな年齢の子が、1年後どうしてるかなんて分かるような生き方を
していちゃいけない」
あのときはあまり深く考えていなかったけど(というかきれいごとに思えて
全く響かなかったんだと思う。
ちなみにこの人はわたしより一回り以上上の公務員だった)、
でもまぁ、「常にわくわくするようなことを見つけられるといいね、
失敗なんて気にせずに生きても許される年齢なんだからさ」、
って意味と受け取った。
あれから約20年後の今・・・1年先のことどころか
老後まで見据えないといけない年齢のわたしがガンになって、
一年後どうしているか本気で分からなくなっている。
闘病記をこのブログに設けてから2週間、
1a1期で死ぬだのなんだの遣り残したことを云々なんて早計すぎると
思った方も少なからずいるだろう
(今日の診察でそれは暫定的なステージであって断端が陽性である以上
もう少し行っている可能性が否定できないということだったが)。
けどわたしの運の悪さはありがたくないことに折り紙つきなのだ、
運が悪いという言葉はあまり適切ではなく、
ひょっとしたら自分がそういう風に生きてしまった必然の結果なのかもしれないが
とにかく何度も書いている通り、毒親育ちをこじらした結果、
なんでも先回りして考えないと落ち着かない、
最悪の事態を想定してとりあえず準備する癖が抜けないのだ。
20歳くらいの頃友達に「あんたは自分の不幸から抜け出せない気がする」
と言われた
(正確には手紙に書いてあった)。
これにはガツンときたよ。図星だったから。そう思ってたから。
その子も家庭に問題がある子だった。
無神経でこんなことを言い放ったわけじゃないのがすごくよく分かって
余計ガツンと来た。
手紙は「それでも楽しく生きていけることは出来るでしょ、自分次第っしょ」
って結ばれてた。
普通、ガンを告知されたなんて人生で1,2を争うくらいの
ショックな出来事なんだろうと思う。
身近でガンで亡くなった方を知らない(毒母以外)ので分からないが。
なんかまた歪んでると思われそうだけど、1,2を争うほどのショックじゃないなと
思ってる自分はおかしいと自分でもよく分かる
(ショックはショックですよ、当然)。
それほど子供時代からひどすぎることがあったからだと思うし
最愛の人に捨てられたときほどのつらさもない(比べるものじゃないけどね)。
告知された日も普通に腹が減りご飯食べたし寝れた。
ショックで寝込んで布団から出られない日もなかった。
出たくない日はあったけど家事をしないと・・・と思ってやった。
軽く精神病持ちだけど最近は落ち着いてきてたまに安定剤飲むくらいなんだが
別に薬の量が特に増えたわけでもない。
なんか変な作用が働いてるのか?ショックなのにショックじゃないように脳みそが
誤作動(?)してるみたいな。
分からない、分からない。
普通に60歳くらいまでは生きると思ってた。
勝手な思い込みだけど大きな病気も大きな事件もなく、
すごく楽しいことも特にないけれども困窮まではせず
なんとなく適当に生きるかと。
少なくとも極度の不潔、不摂生だった毒母よりは長く生きるだろうと思ってた。
毎日煙草を5箱、運動も仕事もせずに毎日ほぼ横になってるだけで
ジャンクフードと甘い菓子、飲料しか飲まず、超肥満体のアメリカ人みたいで
趣味もなく虐待に明け暮れる毎日なのに
いきなり末期がんを宣告されるまで大きな病気もせずに
60半ばまで生きたあの人よりはね。
1年後どころか1ヵ月後のことすら分からないわい。
調べなきゃいけないことはいっぱいあるのにその欲しい情報になかなか
たどり着けなくてちょっといらいらしている。
一人で一人のために頑張るのってなんだか滑稽な気すらする。
明日は前から予定したところに出かけてくる。
それ以後の楽しみの予定がないから、終わったらどっと気が抜けそうで怖い。