の続き

旦那は
たまたま3日(土)と翌4日(日)と連休。
じゃなかったら
寝ずに仕事に行く事になっていただろうなぁ、、
旦那の会社で忌引に使えるのは
配偶者の親の場合2日間だけなので
葬儀の日程のことを考えると
無駄には使えない、、

長男は
「今日休もうかな」と、、
心情的には分かるけど
長男が会社を休んでまで特にやる事もないし
やはり長男の会社も祖母の場合の忌引は2日間しか取れないので
観光業の仕事ということもあり
日曜日に休むのは、、ねぇ
周りにも迷惑かけてしまうし、、

2日しか取れない忌引なら葬儀の日のためにとっておく事に、、

9月4日朝9時前
ようやく葬儀屋さんから電話が入る。

「これから向かいます。」

声の感じから
昨夜電話に出た人とは違うな、、

実は昨夜の電話のやりとりの時
あまりにも事務的で
悪く言うと言葉では「ご愁傷様です」と言いつつも
どこか冷たさを感じてしまって
この人だったらヤダな、、
この声の人が担当になるなら
別のところにしちゃうかもなー
なんてちょっと思ってしまった。

ナーバス過ぎかな、、

9:30回ったくらいに
葬儀屋さんが見える。

我が家に来た方は
物腰の柔らかく
話し方も優しく嫌味なくいい感じのトーンで
故人を偲び
遺族の意向に沿った葬儀を
心残りのないようにあげられますよう
全力でサポートいたします
遺族に寄り添います

という感じを全身に纏ったようなザ・葬儀屋さん

一番大事なのは
我が家、、特に喪主になる私との相性がいい方、
だと思う。
話ししているうちに
この人にお任せしたいなと思えた。

まずはこちらの要望

公共の斎場「◯◯斎場」で式と火葬をしたい
一日葬で
宗教的なものは一切入れず
出来るだけ質素に
家族(婆さんの妹たち&その家族も含む)だけで
婆さんとのお別れをたっぷり時間をかけてしたい

という事を伝えると

その全てを汲み取ってくれて
過剰な提案はせず
かえって

取り敢えずの進行はするが
基本は時間をかけて家族で故人の思い出話をしていただいて
故人の好きだったものを棺の中に入れて
故人の好きだった音楽をかけて
思い思いに自由に同じ空間で過ごしていただく
音楽葬のような形にするのはどうか

故人を偲ぶためだけの提案をしてくれた。

棺に入れられるものは
好きだったお酒やビールも例えばペットボトルに移し替えるならOK
タッパーなどに入れれば好きだった食べ物もOK
中にはお重にお弁当を作ってきて入れる人もいる
大きい金属やガラスなど燃えないものは入れられないが
基本燃えるものならなんでも入れられる、と。

但し
いま◯◯斎場の火葬場は割と早い日程でも空いているが
式場の方が空いてなくて
早くて8日後の12日

葬儀社の式場でも一日早くなる程度、、

コロナ禍に加え
季節の変わり目で
亡くなる方が多い、、と、、

実はさらに我が家側にも事情が、、

弟が翌日から3日間
更に一旦戻ってから週末に3日間
地方に出張が決まっていて
12日に戻ってくる予定、、

それを考えると
葬儀は13日の火曜日が最短になるという、、

まさか
息子である弟を葬儀から外すわけにもいかず

葬儀は13日(火)に決定。

それまで婆さんをどうするか、、

私の希望としては
それまでは家に安置して
家から送り出したいと

最後までごねたけれど
それには弟と葬儀屋さん双方が大反対

9月初旬のまだ暑さ残るこの時期に
あと9日間ドライアイスだけでは
遺体がもたない、、と。

葬儀屋さんは出来たら今日にも
葬儀社の中にある
保冷庫に入れる事を勧めたかったようだが

どうしても
そんなところに婆さんを早々に預けるのが忍びなくって

でも
26年前の1月に亡くなった父の時も
真冬だったのに
亡くなってから5日後の葬儀まで家に安置していたら
こんな時期でももう臭いがして来ちゃってますねぇ
と言われた事を思い出し、、

父は大学病院で亡くなって
さらに献体していたので
体内に血も一部内臓もない状態であったにも関わらず、、です。
 (当時、献体の意味もよく理解せず病院側の申し出を受けてしまった事を後々ものすごく後悔…)

お母様をより良い状態のまま
ご葬儀で皆さまに会っていただくには
保冷庫で保存する事をお勧めします。

と言われてしまうと
折れるしかなかった、、

ではせめて
あと一日だけ家に置かせて欲しいと言って
6日(火)に婆さんを隣町の葬儀屋さんの保冷庫に移動させる事に、、

保冷庫に預けても
事前に連絡すれば会えるとも言われたので、、

葬儀前にお化粧も直してあげたいし、、


そのほかにも
お別れ会だから叔母たちには香典はいらないと言うつもり

と言うと
それでも持ってくると言われる方も昔の方の中にはいるので
そう言う場合は代わりにお花を出していただけますか
と言ってはどうでしょうと提案あり

香典はいらないから
会葬礼状も
お返しも用意しない 

火葬中のお茶やお茶菓子も自分たちで用意する

宗教関係ないので火葬後の初七日もしない

という要望に対し

葬儀屋さんは
承知しました。
それでいいと思います。
遺体の保管に関する以外のことは
すべて私たちの要望を受け入れてくれた。

小さなお葬式の葬儀は一律料金。

小さなお葬式


↑宣伝ではありません

参考までに、、


我が家の場合

この一律料金に

一日11,000円の保冷庫での保管料

×葬儀までの7日間分の

77,000円がプラスになった。


もっと安く済ませるため方法もあったみたい。

HPを見ると

依頼する以前に資料請求をしていれば

3万円引きという特典がある。


知らなかったから仕方ない💦


葬儀の日程も時間も決まり

その日までになにをすればいいかの目処も立ったので

葬儀屋さんは

婆さんのお腹の上にドライアイスを乗せ

エアコンの温度を下げられるだけ下げて

部屋の扉も閉めて室温が上がらないようにして下さい

と言って帰って行った。


その後

会場も火葬場も希望通りに押さえられた。


9月13日火曜日

お別れ会は10時から
火葬は11時からに本決まり。


そうそう

打ち合わせの時に

死亡届も葬儀屋さんの指示に従って記入し

提出は葬儀屋さんの方で代行してくれるとのこと

翌日

またドライアイスを持ってくる際に

そのコピーを数部持ってきて下さるとのこと


これからの

保険や役所関係の手続きに必要になってくるから、と


ようやく打ち合わせも終わり
ホッとしたのも束の間
その間に
叔母からLINEが入っていた。

13時過ぎくらいにもう1人の叔母と一緒に
婆さんに会いに来ると。

あと2時間半、、

まずは、、
叔母たちがくる前に
お茶菓子と飲み物と

そうそうせめて枕花を用意しておこう、、
ということになり

お花屋さんに電話、、

ところが日曜日だったその日は
すでにアレンジの依頼がたくさん入ってて
出来るのが2時間後くらいになる、、と

出来合いのもので良ければ
いくつかあるのでお店に来てみてみて下さい

と言われたので

お茶菓子の買い出しは旦那に頼み
わたしは枕花を買いにお花屋さんへ

枕花って
カラフルなものは相応しくないのかな、、
いくつか店頭にあった籠盛を見て
「枕花が欲しいんですけど、、」
と言うと
たまたま白を基調にアレンジした盛りがあって
「これしかないですね」と。

出来たらカラフルな籠盛にしてあげたかったんだけど、、
枕花だと言わなきゃよかったかな、、

偶然
いかにもって感じのアレンジがこれ。



出来合いのものだったけど
素敵はステキなんだけどね。

13:30
叔母2人と
義叔父と従姉妹の4人が電車を乗り継いで来訪、、

弟もみんなが来るまで残って
お出迎え。

菓子折りとフルーツ盛りを持ってきてくれました。

コロナがなければ
2〜3ヶ月に一度は婆さんに会いに来てくれていた叔母2人だったが

コロナになってからは
高齢の2人は
感染予防のために来られなくなった。

予防接種も4回目が済み
規制もほとんどなくなったので
涼しくなったら会いに行くね
なんて言ってた矢先の事だったので

2人ともかなり悔しがっていた。

「お姉ちゃん」
「お姉ちゃん」

と呼び掛ける叔母たち。

幼い頃に母親が亡くなってる2人にとっては
婆さんは親代わりだった時期もあるので

私の婆さんへの気持ちと近いんだろうなぁと、、


その後
葬儀の日程の話になり
香典不要の話もし
葬儀屋さんの言った通りに
ではお花を出してください
という流れになり
当日それぞれの従兄弟たちが仕事を休めなかった場合
最寄り駅までこちらの車で送迎する段取りなども話し
なにか棺の中に入れたいものがあったら
当日持ってきて、とも伝えて

それではまた13日に、と
夕方
叔母たちは帰って行きました。


叔母たちを見送ってからふと、、
あれ、
ご飯最後に食べたのっていつだっけ?と

弟がボリボリとお菓子をつまみ食いし始めて
ようやく
昨日からなにも食べてない事を思い出した。

そこまで
お腹もすかなかったし、、

そんな気持ちにもならなかったし、、

でも何かしら食べなきゃもたないよね、、

弟が帰ってから
近所の弁当屋でお弁当を買ってきて食べ始めたが

こう言う時って味もしないもんだなー
喉も通りにくいもんだなー

食い意地が張った私でも
こんな風になるんだー、、

でもそこから
定時に朝昼夜とちゃんと食べるようにしていたら
味覚も食欲もだんだん戻ったけど、、

次の日から弟は出張に行き
旦那も長男も次男も仕事に行き

わたしは
葬儀に向けて
婆さんが好きだったものをかき集める作業に没頭。

もろもろやらなきゃならない手続きはあるけれど
まずは
婆さんを心残りなく送り出すことだけを考えることにした。

役所の手続きなんかは
葬儀が終わってからでも遅くない。

9月5日(月)

朝一番に往診の先生から電話が入る。
「ご愁傷様です。おふたりともよく頑張りました。」
「色々とお世話になりました。ありがとうございました。」
「酸素の機械は近々引き取りに行くように業者に連絡しておきます。」

そっか、そういうのも手配しなきゃならないんだな。

11時過ぎ
訪問入浴の方から連絡が入る。
「ご愁傷様です。ケアマネさんから連絡いただきました。急でしたよね。」
そうだよねー、、先週の月曜日はお風呂入れてもらったんだよね。
あれが人生最後のお風呂になるとはあの時は思ってもみなかった。
金曜日はもう体調がかなり悪くなっていたからお風呂キャンセルしちゃったんだけど、、
汗かきっぱなしだったし
どうせ最後になるんだったら無理してでも入れてあげればよかったのか
本人はそれどころじゃなくなってたか、、

「シーツの引き取りは後日また連絡して伺います。」
お風呂のたびにベッドシーツを新しいものに交換してもらっていた、、そのシーツもお風呂屋さんからのレンタル品。

昼過ぎ 
ケアマネさんに連絡。婆さんが亡くなったことは既にLINEで連絡済みだったが
詳細を話し今後の流れをお伺い。
訪問入浴
訪問介護
訪問リハビリ
訪問マッサージ
すべてのサービスを止めてもらう。
そして介護用品
婆さんが葬儀社に引き取られた後、
レンタルしているベッドと車椅子の引き取りを手配してもらう。
介護用品のレンタルは月の途中で返却すると
日割計算されるので
使用しなくなったら出来るだけ早く返す方がいい。
 
夕方 
葬儀屋さんがドライアイス持って来る。昨日の担当者さんは別の葬儀が入ってるので来られず、、代わりの人が来る。
死亡診断書のコピーを受け取る。

火葬後、式場では初七日は行わないが、場所を移動してみんなと食事はしようと弟と決めたので
会場探し、、検索。
いくつか候補は見つけるが火葬の終わり時間が12時くらいなので
そこから移動しても
平日のお昼時、、
車での移動になるので駐車場がある程度確保できないとならない、、
スムーズに案内するために店選びは慎重に、、

ちなみに
今回葬儀をあげる公共の式場で初七日のような会食をするとなると
会食のための会場費が追加になり
料理だけでも一人4〜5000円から
飲み物も飲んだ分だけだが割高
お店ではないので給仕の人を頼まなければならないので別途2〜3万円
会場は原状回復。。

ちょっとした割烹料理屋で食事するのと変わりない金額が飛ぶ、、
年寄りが多いのでそこまでボリュームある料理はいらないし
もう少しラフに食事した方がいいし、、

ようやくここなら、と思えるお店を見つけ予約の電話。
MAX子供含めて20名程度と予約して
3日前までに確定人数を電話することに。


9月6日(火)

婆さんの棺に入れてあげたいもの、、
婆さんの好きだったものをリストアップ。
ビール&日本酒は必須。
タンシチューと鰻が好きだった。
拘縮予防に握らせていたペンギンのぬいぐるみも一緒に入れてあげようかな。

午後
酸素屋さんが酸素の機械を引き取りに来る。
婆さんまだいるんだけどな、、
エアコン18℃に設定した冷えた部屋で
扉を閉めたまま作業してもらう。
時間としては10分いたかいないか
酸素屋さんは引き上げて行った。

17:00過ぎ 
婆さんを迎えに葬儀屋さんが黒塗りの寝台車で来る。
旦那と次男が時間に間に合うように帰宅。

2階の部屋から婆さんをすっぽりシートにくるんで葬儀屋さん2名で階段を下ろし
階段下から車まで旦那と次男で運ぶ。





婆さんはこのまま葬儀屋さんの保冷庫の中に入れられ葬儀の日まで保管される。

叔母たちから供花の注文が3基入ったと報告を受ける。
弟と私の連名で一基出すことにする。
これで祭壇の両脇に二基ずつになるのでバランスがいい。

9月7日(水)
叔母から電話。
「やはり、花は花で出して、香典はそれぞれで包んでいく。」と言い出す。
「あんたは気を遣って香典はいらないと言ってくれたんだろうけど、私たちの気がそれでは済まない。」

別に気を遣ったんじゃない。私たちが簡素化したかったから断ったのに、やはり通じなかったか。もうあれこれ言うのも面倒なので諦める事にする。

葬儀出席人数が確定する。

そういえば、、婆さんが元気な頃に好んでつけていた香水があったなぁ、、
シャネルのNo.5、、一吹き、ハンカチに吹きかけて棺に入れてあげよう。必要なのは一吹き分、だから小瓶でいいよね、、
ネットで探すがよくある普通サイズのものしか見つからない。余っても私はNo.5は好きじゃないからつけない。
ようやくメルカリで1.5mlで600円というのを見つけて購入。
うまくいけば葬儀までに間に合いそう。

夕方
介護用品のレンタル屋さんが
ベッドと車椅子の引き取りに来る。
ベッドの解体と2階から下ろす作業と
車椅子の解体に運び出し、、
全部ひとりでやっていたので1時間半以上かかって車に積み込んで帰って行った。






婆さんの部屋がやけに広く感じる、、




9月8日(木)
ビールと日本酒を買いに行く。
タンシチューを探しにスーパー巡り、、
ビーフシチューはあるけどタンシチューがなかなか見つからなかった。
ようやくレトルトを見つける。味見用と当日用に2つ買う。味見して大したことなかったらまた探すことに。
 (味見後、これでヨシにしよう、となる)
鰻も買う。
そーいえばアーモンドチョコも好きだったな、、と思い出し、買う。

ここ数日間、、どーしようか悩んでいたものがある、、遺骨ペンダント、、
婆さんの遺骨をペンダントに入れて手元に置くか否か、、
今だけの感情で大切な遺骨を分骨してしまっていいものかどうか、、
悩んだ末に
いままでベッドから動けなくてお留守番の多かった婆さんだから、
これからはペンダントに入れて、、飲みに行くのも外食するのも遊びに行くのも旅行に行くのも一緒に出来たらいいな
と言う思いがどんどん強くなって来たので
やはり買うことに、、
仏壇屋のサイトで注文すると12,000〜30,000円くらいのものが多かったが
通販サイトで同じ材質のもので4000円程度であっているのを見つけ注文。

9月9日(金)

これだけは先に取り寄せておこうと
婆さんの入っていた生命保険会社に電話。
年齢も年齢なので
主契約の金額も少ないのだが
保険金の請求をするための書類を送ってくれるよう担当者さんに電話。
この保険金丸々使って今回の葬儀があげられる。
倍あればお通夜と葬儀の通常の葬儀もあげられたかな、、いや、あっても結局は一日葬にしたな、、

夕方
葬儀屋さんに婆さんの顔を見に行く。
時間の約束をしておいたら、冷蔵庫から出しておいてくれていた。
既に柩に入っていた。家にいた時よりも冷え冷え。口元になにやらシミが出て来ていたので、持参した化粧品で手直し。綺麗に消せた。
葬儀屋さんからはプロ並みにいやそれ以上にお上手です。とその後も何度も誉められたが、
普段化粧を全くしない私が上手いわけがない。自分の化粧も正直言ったら下手くそ。上手いのは死化粧だけ?なんだその才能?

化粧を直した後、
婆さんの髪の毛を少し切って紙に包んでカバンにしまう。
火葬してしまうと婆さんがこの世に存在したカケラは骨だけなってしまう。
爪を切って遺す人もいるらしいけど、私は髪の毛にする。

9月10日(土)
再び叔母から電話。
「お姉ちゃんがまだ元気な頃、私たち3人で約束したことがある。私たちの親のお位牌を、3人のうちで一番早くに亡くなった人の柩に入れて一緒に燃やしてもらおうと。お願いできるか。」と。
承諾する。

そのほか、叔母の家に婆さんの服とスカーフがあるから、それも一緒に持って行くから、柩に入れて欲しい、と。
承諾。

やりたい事はみんなやりましょう。
婆さんにしてあげられるのは
みんなこれで最後なんだから。

葬儀当日会食の予約していたお店に
人数確定の電話をする。
大人14名子供2名。
おまかせ懐石14人前と子供は当日のランチメニューから選ぶことに。飲み物も当日。

頼んでいたシャネルの香水が届く。
同じく頼んでいた遺骨ペンダントも届く。

9月11日(日)

葬儀の当日に必要なもの
柩に入れるものはすべて揃った。

お別れ会、だけど音楽葬のような形にするので
婆さんが好きだった北島三郎や美空ひばりのCDも用意した。
婆さんの好きだった食べ物飲み物もオッケー。
今回会食を普通のお店で行うので
お骨の入れ物を剥き出しで置くわけにはいかないので
そのまま入れられるくらいの大きな袋と
上から被せるための大きな風呂敷も用意。
火葬中の待機部屋で食べるお菓子や飲み物、コップを使うと洗って戻さなきゃならないので紙コップと装飾された紙の大皿2枚も用意した。
その時にみんなで見てもらうアルバムや写真も揃えた。
あともう一つ
フォトグラファーの次男に数日かけて編集してもらった20分程度の婆さんの動画も完成した。

葬儀屋さんへの心付けも
いくつかに分けて用意。

最後に、、
父の時も同じことをしたんだけど
この数日かけて書いた婆さんへの手紙と
わたしの髪の毛を少しと
三途の川の渡賃を用意。

全部封筒に入れて
当日胸元に置こうと、、

もう思いつく限りのものは準備したつもり。

すべて袋に入れた。

喪服を持ってなかった次男もギリギリで買いに行き
男衆の喪服、、黒い靴、、黒い靴下、、黒いネクタイ、、白いハンカチ、、もOK。

私も、、婆さんの真珠のネックレスを拝借して、、なんちゃって真珠のピアス、、黒いストッキング、白いハンカチ、冠婚葬祭でしか履かないパンプス、葬儀用のカバン、、OK。

いや、家族葬なんだし、別にここまでキッチリしなくても良かったんだけど、
息子たちにちゃんとした格好を教えられる機会って、そんなにあるわけではないから、
数珠以外はキッチリ揃えてみた。
会社員の長男ですら、葬儀に出たのは数えるほど、、次男に至っては2年前の義母の葬儀が初。
家族葬が増えると、よそ様のご葬儀への参列って少なくなる、、身内の葬儀で覚えて行くしかないよね。

9月12日(月)

明日はいよいよ婆さんの葬儀

明日
婆さんを3Dで見られる最後の日
婆さんに触れられる最後の日
火葬が終われば
そこからは画像か映像の二次元でしか
婆さんを見ることが出来なくなる。

心残りのないよう
見送ってあげよう。。

記録⑦〜在宅で亡くなった後〜


に続く

長くてすみません。