記録⑥〜在宅で亡くなった後〜


の続き


思い出せる範囲で記録してますが
もうすでに抜け落ちている事がちょこちょこ出て来てます💦

⑥を投稿した後に思い出して
付け足したのは

酸素屋さんと介護用品レンタルの引き取り
とその写真💦

そして
またひとつ思い出しました。

9日(金)
婆さんの化粧直しに葬儀屋に行った時
婆さんの首にネックレスとペンダントトップをつけて来た事と
なんちゃって真珠の数珠を
手に絡めて来た事。

このペンダントトップは
まだ私たちが20代の頃
私と弟からの
最初で最後のプレゼント。

ふたりでお金を出し合って買ったのは
後にも先にもこれ一度きり。

その後は個別にあげることはあっても
一緒に、、ってしませんでした。

「形見にもらっておけば」と
弟からは言われましたが
これはたぶん私がつけることはないだろうな、、
と思ったので
婆さんにつけてあげることにしました。
葬儀屋さんにも確認したところ
「(本物でしょ、燃やしちゃっても)いいんですか⁉️」
とは言われましたが
小さなものなら貴金属も大丈夫との事なので、、

数珠も
我が家は私以外は男ばかりなので
女性ものの数珠は自分の分ひとつあればいいし

弟の嫁にどうか、、と言ったんですが
キリスト教信者の彼女にはいらないと、、

葬儀屋さんに確認したところ
「本物でないなら、、」と言われましたが
本物だと火葬ダメなのか
勿体無いと言う意味かは確認しませんでした。

そんな事を思い出したので
記録します。




9月13日(火)

いよいよ今日は婆さんの葬儀。
1時間前には式場へ
と言われていたので
早めに
朝6時くらいから支度を始めました。

簡単にご飯を済ませ
シャワーを浴びて
身支度を整えて喪服を着て
昨日までに準備した荷物を車に積み込んで
8:30には家を出ました。

出発前に
書き溜めておいたブログの記事を投稿しました。
追悼の動画もストーリーに投稿しました。
それまで親族にしか知らせなかった婆さんの死を
このタイミングで公開しようと思っていました。

誰かが読んでくれる頃には
葬儀は終わってる、、
それでいい。

婆さんが亡くなりました。
わたしの介護生活も終わりました。
ただ知らせるだけでいい、から、、


家を出てから20分くらいで葬儀場に到着。
すでに会場の準備は整っていました。



あぁ、、遺影、こーなったんだー。


そうそう、これも記録忘れ、、

最初の打ち合わせの時に遺影として使う写真を何点か葬儀屋さんに渡したんですが

これがいいよねと弟と選んだ他の写真は胸まで写ってなかったり頭が切れていたりで

加工が難しいと却下され


親族で集まった時の写真の中から婆さんだけを切り取る形で出来たのがこの遺影の写真、、


もっと満面の笑みを浮かべている婆さんの写真にしたかったんですが


それを遺影にするのは諦めて

好きな写真は我が家に飾ることにしました。



この写真の方が私的には好きだったんだけどな。

遺影ってみんな縦長⁉️

横長じゃダメなのかな、、



会場に着いてからは、

担当の方に挨拶して

段取りの打ち合わせ、、


そのうちに

叔母たちが到着しました。


みんな渋滞を見越して早めに家を出たらしいのですが

思いの外道路が空いていたので

9時にはみんな勢揃い。


みんな

やはりお香典を包んで来ていました。

でも受付を設けなかったので

全部焼香の台に乗せてもらうことに、、


その間にも色々と準備を、、

会場でかけるCDを葬儀屋さんに渡して

どの曲をかけるか、、と。


すでに会場には

葬儀屋さんセレクトのそれっぽい雰囲気のインストが流れていましたが


婆さんが好きだった北島三郎の曲をかけてもらうことに、、

「どの曲にしますか⁉️」

と言われましたが

私が知ってる曲なんて

そんなにないので

じゃぁ、一番メジャーな「祭り」で、、と。


婆さんが元気な頃は

三姉妹で毎年

新宿コマ劇場に北島三郎のコンサートに行ってました。


叔母の一人が北島三郎の大ファン。

婆さんがどのくらい好きだったのか、、正直よく分かりません。

婆さんと一緒にカラオケに行ったこともないので

どんな曲を歌っていたのかも私は知りません。


でも一緒にカラオケに行ったことのある叔母たちに聞いたら

北島三郎がいいよ、と言うので

寝たきりになってからも

時々部屋でCDかけたりしてました。

美空ひばりのCDなんかも、、


その後

式場内には

「祭り」だけが鬼リピ、、


一通り打ち合わせが終わってから

持参した物を祭壇に並べました。


ビール、、

ビールの缶は入れられないので

ペットボトルに少しだけ移し替えて

柩に入れることにしました。


日本酒

これは紙パックだからそのまま入れられます。


アーモンドチョコ

タンシチュー






食べられるように

スプーンもお箸も、、


食べるって💦なに⁉️

って感じですけど、、



叔母たちが持って来たスカーフや服も、、


懐かしいな、、

こんな服着てたなぁ、、

ずっと叔母が持っていたので

久しぶりに見ました、

婆さんが元気だった頃の服、、


胸に忍ばせる手紙と私の髪と三途の川の渡賃の入った封筒も、、


ハンカチに

シャネルの香水


これは

花を入れる時までこのままにして

出棺間際にハンカチに少し染み込ませてから

柩に入れる予定、、


あとは

赤ちゃんの頃の婆さんが

母親と写っている唯一の写真と、、


父親と写ってる写真も持って来たんですけど

それには叔母たちも写っていたので

「これは燃やさないで」

と言われてしまったので

そのまま叔母にあげました。



そして約束していた

婆さんの両親の位牌も、、


拘縮予防にずっと握っていたペンギンのぬいぐるみも、、



お別れ会の開始は10時から


それまでは

数年ぶりに会う従兄弟たちと話たり

婆さんを囲んでいろんな思い出話をしたり


婆さんに触れられるのも

これが最後になるので

ペタペタペタペタ

触りまくりました。


でも

何度もトライしようとして出来なかったのが

ハグとキス💦


柩が台座の上に置かれていることと

柩の枠が案外高くて


婆さんまで届かない💦


何度も試そうとしたのに

体重をかけると

柩がひっくり返りそうになる💦


…って従兄弟たちと話してたら

「押さえてやるからやってみな」

と言ってくれたので


思い切り身を乗り出して

柩に体重をかけて

なんとか

婆さんの顔に自分の顔を近づける事ができました。


おでこにチュ

ほっぺにチュ


保冷庫に入っていたからおでこも頬も冷たい、、


でもハグだけは宙ぶらりんになって腕を回さないと出来なくて💦

諦めました。


恥ずかしがる弟にも

「もうこの後は出来なくなっちゃうんだよ」

と促して

おでこにチュー。


もう少し

柩が浅ければ

もう少し台座が低ければ

もっと触れられたのに、、


まだ家に安置している時は散々触ってキスしてハグしてたけれど


日本の柩は

上から見下ろすだけしか出来ないもんだなぁ、、



10時になり

葬儀屋さんの段取り通り

お別れ会の開始


全員柩の両側、、

祭壇に向かって右側に私と弟とその家族

左側に叔母たちが腰をかけ

関係が近い順に交代で焼香


形だけ、ね。


お坊さんがお経をあげるわけではないので

そこからはまた自由に動いて

思い思いに婆さんを囲む、、


祭壇のお線香にも

せっかくだからと火をつける、、


10:40頃に花の準備をするからと葬儀屋さんの指示で一旦退出。


その間に担当の方に声をかけられ

自分はここまでで

火葬棟からは若い女性のスタッフにバトンタッチします

との事だったので

用意して行った心付けを渡しました。


あとから弟には

「今どきはそんなことしないよ」

と言われましたが、、、


気持ちの問題、、なので、、


準備が出来

部屋に戻ると

祭壇と供花から外された花がカゴに盛られていました。


まずは柩に入れたい物を婆さんの周りに入れました。

食べ物も全部蓋をしてタッパーごと入れて

服は婆さんの上にかけ


香水をつけたハンカチも

写真も入れて

最後に手紙を胸の上に置き


その上から

花を敷き詰めました。


選曲間違えたかなぁ、、

その間ずっと「ま〜つりだ、まつりだ」と

サブちゃんの軽快な唄声、、


叔母の一人は

「お姉ちゃん、またすぐ会えるからね」

なんて涙ぐんでいましたが


わたし

頭の中で「まつりだ、まつりだ」

と一緒に歌ってしまって

涙も出なくて、、


花を入れた後は

柩に蓋、、


もうこれで蓋を開けることは出来なくなりますと、、


親族の男手で柩に蓋をして

柩の上に

白い花束を乗せ


焼香の台がどかされて

キャスターのついた台車へ

再び親族の男手で柩を移動、、


婆さんの柩を乗せた台車の真後ろに

わたしが遺影を持ち

弟が位牌を持ち

その後ろに親族がニ列に並んで

火葬棟まで移動、、


もう式場には戻ってこないので

荷物全部を持ってもらって、、


あぁ、、

嫌だな、、

とうとうこの瞬間が来ちゃったな、、

婆さん、、このまま灰になっちゃうんだな、、


若い頃に読んだ

生きながら火葬されるオカルト漫画があって

つい最近もドラマでそんなシーンを観たばかりだったので

万が一焼いている最中に息を吹き返したら、、

なんて事を

想像してしまって、、


婆さんが亡くなってから

ついさっきまで

本当に死んでるんだよねー、、と

確認しないでいられませんでした💦


鼻に綿は詰めてあるし

お腹にドライアイスも乗せてたし

保冷庫にも7日間入れていたし


もう息を吹き返すことなんてないと

分かっていても

もし、もし、万が一、、なんて、、


馬鹿みたいだけど、、考えてしまう💦


火葬棟に着き

火葬炉の前に立ち

火葬場の人からの話が終わると


では、、

と台車から炉の中に柩が移動しました。

炉の奥にはさらに扉があるので

手前の扉が閉まると

きっとさらに奥に入るんだろうな、、

炉の中って

コンクリの壁に

所々ススがついていて

いかにも、、な嫌な雰囲気、、


あ、これも記録漏れ、、

婆さんの胸にはペースメーカーが入っています。

葬儀屋さんには

最初の打ち合わせの時に伝えましたが

ペースメーカーは機械で金属

電池も入っています。

加熱すると

ボンッと軽く爆発する、らしいのです。


予め伝えていないと

火葬技師の方が焼き具合を小窓から確認するときに万が一爆発したら怪我をするので

必ず伝えなくてはなりません。


婆さんの柩が炉の中に入り

扉が閉まりました。


奥に入る音がする訳ではなく

ボタンを押す訳でもなく


そのまま

では、、と私たちは待機室に移動することになりました。


焼き上がるまでは約1時間、、

この待機室で待つことになります。


お別れ会の前に

事前にこの部屋に来て

椅子などは用意しておきました。


部屋に入ってからは

持参したお菓子や飲み物を用意して


持って来た写真や

次男が作った動画を流し始めました。


1時間は

長かったような

短かったような、、


葬儀の前〜火葬の最中


何度も一服しに外の喫煙所に行きました。


その度に

次男や従兄弟といっしょに、、


従兄弟の一人は

一年半前に26才の娘を突然死で亡くしたばかり、、


私が知ったのは

亡くなってから半年後、、

叔母が婆さんを抱えてる私には知らせないでおこうと気を遣って黙っていたんです。


話を聞いてすぐに

お墓参りに行きました。


そんな話や

昔話やら

近況やら

叔母たちのいるところではなかなかゆっくり話せないので

一服タイムも

思い出に残る時間になりました。


ちょうど

1時間経つ頃に

館内放送が入り

◯◯(婆さんの名前)様のご遺族様と呼び出しが、、


まずは近い関係の方お二人で

ご確認をお願いします、と言うので

私と弟で

先程の火葬炉の前へ。


残りの親族は

骨上げを行う収骨室へ。


待機室にはもう戻らないので

すべての荷物を持ち

椅子を元に戻して退室。


炉の前に来ると

扉の前に掲げられた名前の確認、

そして

扉が開き婆さんが出て来ました。


人の形とわかるように

骨だけが、、


胸の辺りに黒く焦げた丸い物が

周辺の骨も少し黒く焦げている、、


「これはペースメーカーです。

骨壷に一緒に納めますか⁉️

それともこちらで処分しますか⁉️」


処分をお願いしました。

次生まれ変わる時にはこんな物が身体に入らなくてもいい、健康な身体でいて欲しいな、、と。


確認が済むと

収骨室でお待ちを、、と言われたので

みんなが待つ収骨室へ移動。


収骨室には

婆さんの名前の入った骨壷と白い布とカバーが置かれ

長い箸も二膳。


しばらくすると

コンパクトに集められた婆さんの骨が

大きめのアルミのチリトリのようなものに乗せられて入ってきました。


職員の方からどの骨がどこの部分か、というような説明がありましたが

頭蓋骨以外は早口過ぎてよく分からなかった💦


まずは近しい方から二人ずつと言うので

私と弟が

先頭に立ちました。


お骨を拾い上げる前に

少しここに入れたいと

小瓶を出しました。


お骨ペンダントに入れる分だけ

先にとっておきたかってんです。


一欠片だけ小瓶に入れてバックにしまい

違う骨を弟と一緒に骨壷に収めました。


それから順番に全員で収めてもらって

残りは職員の方が

粉になった骨まで綺麗に骨壷に収めてくれて

最後に頭蓋骨部分と喉仏を入れて

蓋をしました。


骨壷は白い布で包まれ

箱に収められ

その脇に埋葬許可証が入れられ

カバーをして渡されました。


部屋を出ると

葬儀屋さんの若い女性スタッフの方が

「以上ですべて終了です。」と、、


終わったなぁ、、

終わっちゃったなぁ、、

こんなに小ちゃくなっちゃったなぁ、、


そこから

予約していたお店まで

それぞれの車で移動しました。


火葬後に骨上げしたり

移動して駐車場に停めたりしていたので

ほぼ予約していた13時にお店に到着。


婆さんの骨壷は

持参した紙袋に入れて上から風呂敷を被せて

みんなから見える場所に置かせてもらいました。


献杯の挨拶を軽く済ませ会食。

みんなきっとお腹ぺこぺこのはず💦


滞りなく式が進行するようにと

朝から少し緊張していたのかな、、

慣れないパンプスを履いて足も痛いし

クタクタでした。


もうラフでいいんです。

運転手以外はみんなアルコールが入り

わいわいと歓談、、

婆さんもきっと一緒に飲んでる。


途中で長男が具合悪いと言って先に帰りました。

慣れない雰囲気のせいなのか

緊張もあったのか

頭が痛くなって吐き気もしていて

食事が喉を通らないと、、


長男の分は

生物以外なら持ち帰り出来るから

とお店の方が使い捨ての容器を持ってきてくださったので持ち帰りました。


夕方体調が戻ってしっかり食べてましたけど、、


2時間の食事会はあっという間、、

みんな

それぞれの車に乗って帰っていきました。


みんなを見送ってから私たちも家に戻って

予めここに置こうと準備していたリビングの棚の上に婆さんを安置しました。



婆さん

終わったね。

みんな帰ったよ。

みんなに会えてよかったね。


お疲れ様でした。


やれる事はすべてやった

と思います。

思い出せる限りの婆さんの好きなものは

柩に入れた、、はず

葬儀まで12日間もあったおかげで

入念に準備が出来たんじゃないかと、、


心残りはない、、

たぶん、、ない。


葬儀の最中もサブちゃんの歌声のおかげで泣くこともなく

家に帰ってからも

涙は出ませんでした。


不思議と気持ちは凪いでいました。


ただ

終わったな、、

脱力感だけ、でした。



記録⑧〜在宅で亡くなった後〜


に続く


次がラストの予定