皆さんこんにちは!桜雪です。

今回のテーマは「翻訳ミス」です。
と言っても、実際の翻訳の話ではなく、

概念的な「翻訳ミス」。

 

書こうと考えていたテーマなのですが、

また真中さんの記事で考えたことがあったので、

それを踏まえてお話しさせてください。

 

(真中美和さん、エンドーエルさん

前回ハッシュタグに入れられておらず、
申し訳ありません。
ここでお詫び申し上げます。)

 

今回の記事はこちら。

 

 

この記事の最後のほうで、

図解して「『パートナー』である」ことを説明してくださっているのですが、

それが私にはとてもしっくり来て。

私も相手の周りの人たちを「協力者」でなく、「敵」にしてしまっていました。

 

そして、自分が「話し合う事」から逃げていることに気が付きました。

 

 

「コミュニケーションが重要」これは理解しているはずなのですが、

この記事を読んで納得。

 

私は「一人で」考えて、

「一人で」解決していたんです。

コミュニケーションは「二人で」するものなのに。

 

 

そして、今回の本題。「翻訳」について。

私は自分の長年の感情に向き合い、

それを家族と共有することを大切にしています。

 

そんな中、自分がいかに世の中の「普通」に、

そして固定観念にとらわれていたのか気が付きました。

 

その過程で、相手とのコミュニケーション以前に、

家族に対しても固定観念を通してしか

コミュニケーションが出来ていなかったことに気が付きました。

 

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私は家族に対して自分の考えから何かを発言します。

しかし、家族の側からすると、その言い方では伝わっておらず、

その発言の意図が分かりません。

相手も自分の考えで発言を受け取っているからです。

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これが「翻訳ミス(受け取りミス)」です。

(この「翻訳ミス」という言葉は、YouTubeで観たもので

とても納得したので使っております。

動画が見つからずリンクが貼れておりません。

ご了承ください。)

 

動画では男女カップルの例で説明していたのですが、

これは家族や友人でも全く同じことが言えます。

 

 

いつか「執着は愛情ではない」という言葉を聞いたことがあります。

その時には納得できなかったのですが、

これは「パートナー」になれていない状態だから

と解釈することができます。

 

「一人で」執着しているのは、

「二人で」のコミュニケーションが出来ていないことになります。

 

「一人で」勝手に相手のことを考えて、

「一人で」気を使って、

「一人で」解釈して、嫉妬する。

周りの人を「敵」にしてしまう。

 

これは結果「コミュニケーション不足」

という事になりますよね。

 

 

私は最近、自分の固定観念や

自分のなりたい像、考えていることなどを

ノートに書くようにしています。

 

私はもともと頭で沢山のことを考えてしまい、

良い子であろうとしてしまっていました。

そしてその結果、自分の感情を外に出せなくなっていました。

 

しかしノートに書くことによって、

気持ちが楽になり、固まっていたものがほぐれていく感覚になりました。

 

「コミュニケーションはキャッチボール」とよく言いますが、

これは「コミュニケーションは互いにするもの」

という事を認識させてくれる言葉ですね。

 

どれだけ互いにコミュニケーションをしようと心掛けても、

「翻訳ミス」はどこかで起きてしまいます。

しかし、それを解消しようとすることこそ、

本当のコミュニケーションだと私は感じました。

 

今回の記事はここまでです。

毎度長くなってしまいますが、お読みいただき

ありがとうございます。

またお会いしましょう👋