自宅学習のみ、

お受験塾なしで小学校受験に挑み

国立小学校からご縁をいただきました。


国立小の先生がよくおっしゃることは
小学校受験対策の本質を突いてるな、

と思うので
シェアさせて頂きます。

国立小学校の先生は

「なんでもないような

当たり前のことを
当たり前に貫いてください」


とよくおっしゃいます。

「自分のことは自分でする、
も当たり前。

明日の準備や着替えも
失敗してもいいから自分で。

トイレを綺麗に使う、
お片付けをする。

当たり前を極めてこそ
その子自身が光りだす」


本当にその通りだなと。

当たり前のことを当たり前に行う、って
大人も子供も実は意外と難しい。

この発言が

たびたび先生から聞かれる背景には
おそらく理由が2つあるのではないでしょうか。

1.子供が失敗しないように
先回りする親が増えている

2.過熱する小学校受験の過程で
子どもから義務感と緊迫感の強さを感じ
委縮している子が見受けられる



過保護な親の中には

失敗を過度に恐れるあまり、
なんでも手伝ってしまったり、
ついつい口出ししてしまう。


無意識のうちに
子どもが最終的に自分で見通しが立てられない、
壁にぶつかったときに乗り越えられない子に
育ててしまっていることがあります。

本来であれば、


子どもには新しいことにチャレンジしてもらい
どんどん失敗させて試行錯誤する。


お友達との人間関係も
普段の生活のお行儀も
困難にぶつかれば最後まで考え抜き
自分なりの正解を導きだせることが理想です。

そうすれば
子供は


「こんな時はどうしたらいいかな?」
「これはなぜだろう?」


と学びの芽が育ち、
授業でも行事でも

先生や仲間とともに
探求の時間が過ごせるからです。

ところが、
お受験ママさん

パパさんの中には
子どもが
自分のことは自分でやろうとする前に
先回りして子供に答えを突き付ける。

その答え通りにならないと

お教室でなぜちゃんとできないんだ、
と子どもに
無用なプレッシャーや

 

小学校受験での全落ちや

お教室でのご指摘を恐れるあまり
落ちたらおしまいだ、と

 

耳を覆いたくなるような
罵声を浴びせる親もいます。

子どもは怒られるのを恐れて
自分で試行錯誤する前に
親の顔色を伺って
自分で考えられない子になってしまいます。

入学後、

「小学校受験は子供が自立するまでの
単なるマイルストーンの一つに過ぎない」


ことを痛烈に実感しているところですが
受験期の渦中に立たされると


「小学校受験に人生をかける」


くらいの勢いで

周りが見えなくなってしまう親御さんも
いるのは確か。

(気持ち、わからないでもない。

目指す学校は倍率が高く

優秀なお子さんを見れば焦る、
スケジュール通りにいかない、
模試の結果が悪いと動揺します。)


トイレを綺麗に使うのはなぜか?
お片付けをするのはなぜか?

 

(もちろん合格するためではない)


単に片付けろ、

と言っても片づけないのは
子どもが理由をきちんと

自分で導き出せず

理解していないからです。


初めから答えを言わず、
子どもに一度理由を考えてもらうのが
よいかもしれません。

国立小は

ご挨拶できる子
礼儀正しい子
協調性のある子
自分で問いを見つける子
好奇心旺盛な子
自分の意見をはっきり言える子
人の話をよく聞く子
周りの子の気持ちが考えられる子


が合格する傾向にあります。

 

先生方はペーパーだけでなく

面接や行動観察で

判断します。


それはふだん当たり前のことを
貫いてきたご家庭が
きらりと光る子を

はぐくんだ結果だといえます。

うちもご縁をいただいたとはいえ、
先生のおっしゃることは
ハッとさせられる
耳の痛い話です。

目覚まし時計をつい親がセットしちゃう、
翌日の準備に忘れ物がないか、
下着が出ていないか
つい口出ししちゃう‼️

 

あぁぁーーー‼️

無意識のうちに

先回りしちゃってるー‼️

目覚まし時計は子にセットさせる。

 

忘れ物がないか

子が確認するのを習慣づける。

 

親が下着を直すのではなく

子に鏡へ向かわせる。

 

私も
答えを出しすぎていないかな
手を出しすぎていないかな、と
気が引き締まる思いです。

当たり前のことを

当たり前に貫くことが
かんたんなようで

どれほど難しいか。

先生のお話を聞いて
考えさせられた次第です。

これからお受験に挑む方の参考になれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。