よいお天気の朝です


今日は、たぶん約1年半ぶりの

土曜日のお休み。


予定は決まっていないけれど

ブラブラと何処か、

少し遠くまで出掛けてみようかな・・・




窓からは、明るい陽射しが輝いてキラキラと

金木犀の葉の緑の影を縫って煌めいていて

風に揺れる枝が硝子を撫でて騒めいている




静かな朝です

少し離れたところから絶え間なく流れてくる

道路を滑るタイヤの音と、

時折聞こえる高い空からの旅客機の響きも

静かです



でも、小鳥たちの声が聞こえない

ホンのひと声も・・・



お向かいの公園ではこんな日、

ほんとうなら小鳥たちが遊んでいるはずです


南側の窓から見えるお隣の屋根の上あたりでも

飛んで止まって戯れて

そんな声が聞こえるはず・・・


なのになのに

そんな気配は微塵もなく・・・




新しく生まれた朝、

静寂に包まれた光輝く朝には違いないんだけれど

どこか不自然でぎこちない・・・





窓を開けると

やっぱりとても良いお天気。

天からは明るい光が降りていて

地上を広く照らしている。



たしかに感じられる朝の息吹き、

清々しくもある風・・・



でも空は、青くなく

白濁していて、水色でもない

曇りとはいえなくて

晴れているには違いない

不思議な日。




PM2、5や黄砂が多いのかな・・・

そんなことがわかるようになったことは

ちょっとかなしかったりさみしかったりするけれど・・・




だけど、自然は

やっぱり朝で、

光で、風で・・・




五月の朝、

緑きらめく

爽やかな季節、



そんな気配は

何ものにも負けていない



また違う日には

いつもの場所に

小鳥たちはやって来るのでしょう


青い空の光の下で

うれしそうに遊ぶでしょう・・・






五月の風は夜もさわやかで


昼間の熱が少しも残っていないような冷たさの中にも


清々しい薫りが閉じ込められていて漂い流れてくるようだ





夜になると その日の出来事も前後の日の出来事も


何か起こっていたとしてもリセットされるような気がするのはなぜだろう


そのために暗闇が来るのだろうか 暗幕で舞台が終わってしまうように


そしてまた夜明けがくると 新しい物語が始まるように





夜がいつもセンチメンタルというわけじゃない


でも五月の夜風は 私にある記憶を思い起こさせる


祖母が逝った連休のある一日を 今も忘れることはない





同居していた父方の祖母を亡くしたのは高校に入学した年だった


急に倒れて丸一日後のことだった


あとになれば闘病がなかったことはよかったのだと考えることもできたけれど


その時はショックという言葉では到底足りない深い悲しみに


現実がどうしても受け入れられず随分長く立ち直ることができなかった





五月の風はやさしく薫るけれど


長い間悲しみを運んできた風だった


もっと小さい頃の 祖母との時間を思い出させる風でもあったから


そんな懐かしさを 悲しみに変えた風だったから






でも、いつごろからか・・・


かなしみとやさしさが半分ずつの風になった


それからしばらく経って


かなしみは少しでやさしさが多い風になった




そしてだんだん・・・


いつか、やさしさだけの風になっていった


なつかしさも一緒に 吹いていった






今も考える


五月になると思い出す


夜、風に吹かれると思い出す



あの時のわたしと 途中のわたし


あの時の前のわたしと 今に近いわたし




そして今はなにもかも


すべてのことが一緒になって


それでもどこかに 淋しさがあるけど


やっぱり五月の風ってやさしくて


なつかしくっていいなぁっておもう・・・






        

         (2012/5/12)








゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆






深夜、もう日が替わり

3日になりました


本当に月日の経つのは

早いものですね・・・




なんて、のんびり言ってられないほど

速すぎませんか・・・? 

私は「おかしい」と思っています


だってだって、ついこの前お正月で、

そしてひな祭りで、

卒業、とか、入学とか入社、とか・・・


じゃなかったですかっ?


で、もう、早や

「五月」、



だなんて~~~ 




毎年このあたりになると

同様のことグチグチ言ってるような気がするんですが、

やっぱりやっぱり、毎年毎に加速度が増してくる気がして

今年の早さには、これまでで一番ビックリしています


っていうのも、毎年更新していくビックリさ。





ねっ? ねっ?

そうですよねっ?



って、同意を求めてみる。








     上の階のテラスに出てみると

     もう夏の香りがする風が吹いていました


     

     爽やか、というわけではなく

     また雨なのかと思うような、湿り気のある大気がひっそりと、

     濁ったような夜空には、薄く見える星たちが幾つか、・・・


     

     そんな、どこか混沌としたような気配の闇の中なのに

     綺麗な印象の・・・ 仄かではありますが

     確かである初夏の香りが風に混ざって吹いてくると

     なぜなのかわからないけれど


     この夜が、いとしく、・・・ せつなく・・・

 

     

     ああ、五月だ、

     五月の夜の風だ、

     って思ったんです




     



     最近はもう、今度こそ書いてはいけないだろう・・・

     と、しみじみ思っていたりしたブログでした

     

     せっかく新しいパソコンになったのに、

     って、

     哀しい気持ちになっていました




     いつからでしょうね

     こういう風になっていったのは・・・

     アメブロ。



     「昔はよかった」

     などという話をする気はさらさらないけれど

     以前の、のんびりしていたこの世界は

     まだ平和で、素敵だった・・・


     

     溢れるような気持ちが

     言葉にすり替わっていった

     どんな朝も、どんな夜も・・・

     PCの前に座ると、

     アリスの世界に迷い込んでいくように

     ときめいてドキドキしてうれしかった・・・



     かなしい時も、つらい時も

     たのしい時も、うれしい時も、

     分かち合える人たちに出会うことのできる窓・・・




     でももう、今では

     記事を書けばかなしくなる


     「そんなの気にしなければ済むことじゃない」


     まず最初に、私もそういう風には思いますけれど

     「気にしないでおこう~っと。」

     

     と、決めて、そうしようと思っても、

     そうできるものとできないものがありますよね


     これは私は、できそうにありません

     自分の意思でどうこうできるものではないようです

     気になります



     私はおそらく、

     傍若無人に振舞われる「自動コメント」

     に対して、

     「全く気にならない」もしくは、

     「気にしないでいられる」、

     という人とは、

     他の事でも分かり合うことができないでしょう







     どんなに拙くいい加減に見える記事でも

     気持ちを込めて書いたものばかりです

     どんなにくだらない記事だとしても

     私にとっては・・・いとしいものには違いないのです

     大切に感じる「物」なのです


     だから・・・



     新しい、に近い記事たちにも、

     過去の古い記事たちにも、

     メインのブログの方も同様に

     「自動コメント」の、心無い言葉が(ドンドン)入るのは

     辛いのです

     

     特に、1記事に1つ・・・

     というのは、特別な感じで、

     心が締め付けられるほどに、かなしくなります

     幾つか重なったら、もうかなしみを通り越えて

     もうどうでもいいやって心境になるけれど・・・


     二つで一体・・・

     みたいに感じるのかもしれません


     「記事」、がとても

     可哀想に、

     なります・・・(涙)



     他にも理由はあると思うけれど

     そんなことでも大いに気力を失くしてしまい

     もう二度と書けないだろう・・・と、

     

     

     夜な夜な湧いてくる言葉(笑)を

     書いてみたくなるっていうのに、それに反して

     封印しなければならないというような悲しさで(涙)

     そういう風に感じてしまって、


     これに打ち勝つ時が来るとすれば(大げさ)

     「自動コメント」、が蔓延ってきた俗世の哀しさに対して

     それを上回るほどの

     「書きたい」、

     という気持ちが必要なのです




     

     ・・・で、今夜、そうなりました


     五月、の、夜風、

     のせいかな・・・

     よくわからないけれど・・・



     

     明日は祖母の命日です

     もしかしたらお祖母ちゃんが

     「頑張って」、って言ってくれてるのかな・・・

     そんな気もして・・・。




     やさしく、なつかしい風、

     です

     五月の風は・・・

     

     夜風も、朝風も、

     昼風(って言うの?)、も・・・・・・





     あ、

     打ち勝った、っていいながら、

     やっぱり

     この記事に

     「自動コメント」入るとイヤなので

     (抵抗してるみたいなのもイヤだけど、笑)

     仕方なく閉じることにします




     それでもやっぱり

     「よい夜ですね・・・」

     とただ言ってみたくて・・・








また、気持ちが

勝てる時がきたら

書いてみようと思います(笑)








徒然なるままに・・・





おやすみなさい☆彡







                  

                    いつまでもこうして座って居たい

             新しい驚きと悲しみが静かに沈んでゆくのを聞きながら

                 神を信じないで神のにおいに甘えながら

                はるかな国の街路樹の葉を拾ったりしながら

                    過去と未来の幻燈を浴びながら

                  青い海の上の柔かなソファを信じながら

                        そして なによりも

                      限りなく自分を愛しながら

                  いつまでもこうしてひっそり座って居たい



                    (谷川俊太郎「静かな雨の夜に」)












静かな 春の夜の雨が降っている


冷たい涙のように 思う人がいるであろうか


そぼ降る雨の音


哀しみの切ない雫・・・





だけどこうして


ひとり夜の中に居ると


窓の外の暗闇は


美しい雨糸が 幾筋もの光になって


天と地を 繋げるように 真っ直ぐに落ちてゆく


そんな光景が 見えるような気がする





織られてゆく水鏡

映るものは 此の世のあらゆるもの


淋しさも戸惑いもみんな 


其処へ流れてゆくのだよと


そう知らせるためのように 


音を立てている雨は


ためらいがちだけど やっぱり 


やさしい


あたたかい  雨 ・・・






雨は愛のやうなもの・・・


と 室生犀星は言った



どんな時でも、


愛の中に居られることは幸せなんだ・・・ 


と・・・





風のない 夜のしじまの静寂に

時折 柔らかな


雨の音が 響いていくたびに


雨の夜は そうだなって


春の夜の 雨は そうだなって





そんなことを想う・・・