『独眼竜政宗』第50回(最終回)「大往生」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

保春院
「『二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと』
(双葉より植ゑし小松の木高くも枝を重ねて幾千世の宿)」


政宗
「年月久しう へだたりける母にあいて
『あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも』
(相逢ひて心の程や垂乳根の行く末久し千歳経るとも)」


最終回にしてやっと親子のわだかまりが解けました。

そして大往生を遂げようとする政宗を迎えに来たのもこの母でした。

 

お東「おお、そこに居たのかえ。会いたかったぞ政宗。最早苦しむことはない。さ、母の側へ参るがよい」

梵天丸「母上」

藤次郎「お迎えでございますか」

お東「父上がお待ちかねじゃ。政宗はようやった、流石は儂の倅じゃと」

政宗「…母上は、如何でござりまするか。親不孝の政宗をお許しくだされませぬか」

お東「…梵天丸」

梵天丸「はい」

お東「母は悔やまれてならぬ、そなたが疱瘡を患うたときに母は山形に出向いて…」

梵天丸「梵天は些かも恨んでおりませぬ」

お東「…藤次郎」

藤次郎「はい」

お東「そなたの家督相続を何故母が妨げようとしたか、わかるか?」

藤次郎「伊達家の行く末をご案じなされたのでございます」

お東「…この母を許してくれるのか?」

梵天丸、藤次郎「はい」

政宗「…お言葉、ありがたく承りました。

   政宗の胸中、一点の曇りもなく晴れ申した」

政宗は恐らく生まれて初めて“本心から”この言葉を使いました。

お東「そなたは我が子じゃ。愛しい我が子じゃ」

罪深い人生を送ってきた政宗は、最後の最後で母の慈悲に救われた想いだったでしょう。

そして、多くの視聴者も同じ想いを抱いたのではないでしょうか。

なんという最終回。

ああ、終わってしまいました。

やはり『独眼竜政宗』は間違いなく大河ドラマの史上最高傑作です。

※瑞鳳殿(ずいほうでん)は仙台藩初代藩主伊達政宗を祀る霊廟である。政宗は生前、自らの遺骸を経ヶ峯に葬ることを遺言し、寛永13年(1636年)没した。経ヶ峯は青葉山にある仙台城本丸から東方に900mほど離れており、東西に峰がある。2代忠宗は政宗の遺言に従い翌寛永14年(1637年)10月、政宗の御霊屋(おたまや)を東の峰に建立し「瑞鳳殿」と命名した。瑞鳳殿は本殿、拝殿、唐門、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築を誇った。その後忠宗を祀る「感仙殿」(かんせんでん)および3代綱宗の「善応殿」(ぜんのうでん)が経ヶ峯の西の峰に建立された。瑞鳳殿は昭和20年(1945年)、感仙殿、善応殿ともども焼失したが、昭和44年から地盤安定化工事が開始され、昭和54年(1979年)には瑞鳳殿が、昭和60年には感仙殿と善応殿が再建された。この間、昭和49年の瑞鳳殿址発掘調査では政宗の遺骨や副葬品などが出土している。昭和62年(1987年)、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されると「政宗ブーム」が起き、瑞鳳殿は仙台市の重要な観光施設となった。(Wikipediaより)