『軍師官兵衛』第45回「秀吉の最期」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

秀吉「官兵衛は変わらんのう。いつまで経ってもお人好しじゃ」

そんな軍師は嫌だ。

今回は死期を悟った竹中秀吉の独壇場。

秀吉に絡む場面での官兵衛とねねは、まだ生きている本人の前で弔辞みたいな「お別れの言葉」を述べるという道化を演じただけでした。

秀吉だけではなくその周辺をもう少し描けば大河ドラマらしくなったものを、またぞろ黒田ファミリーの茶番劇に尺を半分も使われたのは残念でした。

さて来週からは『黒茶々vs黒家康』。

※五大老(ごたいろう)は、豊臣政権末期の政務にあたった有力大名五名。
・徳川家康(関東256万石)
・前田利家(北陸加賀83万石)※慶長4年(1599年)の利家死後は前田利長
・宇喜多秀家(中国備前57万石)
・上杉景勝(東北会津120万石)
・毛利輝元(中国120万石)
なお、同様に有力大名だった小早川隆景(九州筑前52万石)は慶長2年(1597年)病没。
文禄4年(1595年)の秀次事件がもたらした政治危機を克服するため、秀吉は有力大名が連署する形で「御掟」五ヶ条と「御掟追加」九ヶ条を発令した。これに連署した六人の有力大名が後世、豊臣政権の「大老」とみなされる。慶長3年(1598年)夏、死の床にあった秀吉は、嫡男秀頼成人までの政治運営は前記五大名と石田三成ら豊臣家吏僚による合議制をとることを遺命し、いわゆる「五大老五奉行」が制度化された。なお、「大老」の呼称は、江戸期に入ってから江戸幕府大老になぞらえて作られた造語であるとされる。
 五奉行(ごぶぎょう)は、豊臣政権末期に政権の実務を担った5人の政治家(奉行職にあたる)的人物達を指して呼ばれる言葉。大谷吉継や小西行長はじめ多くの奉行がいるが、中でも特に重要な活躍をした5名が五奉行と呼ばれた。
・主に司法担当 浅野長政(筆頭・甲斐甲府22万石)
・主に行政担当 石田三成(近江佐和山19万石)
・主に土木担当 増田長盛(大和郡山22万石)
・主に財政担当 長束正家(近江水口5万石)
・主に公家・寺社担当 前田玄以(丹波亀山5万石)。
1600年(慶長5年)に三成が五大老の輝元を擁立して関ヶ原の戦いに至ると、正家は三成、輝元らの西軍に従軍し、長政は東軍の秀忠に属し、玄以、長盛の2名は大坂城に在住している。
(Wikipediaより)