『独眼竜政宗』第27回「黄金の十字架」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

尾張清洲城。

政宗と小十郎が詮議の場に到着しました。
既に徳川家康、施薬院全宗、稲葉是常坊の三名が居並び、
警護の武士が六名も控えています。

「お成~り~」

徳川家康「心残りはないか」
政宗「ござりませぬ」


階上より豊臣秀吉、太刀持ちの小姓、豊臣秀次、石田三成が威風堂々と登場。
三成以外の三名は上段に座ります。

現代の裁判とは全く異なりますが、ピリピリとした場の緊張感が伝わってくる演出です。

石田三成「さて、伊達政宗に問いたき儀あり。神妙に答えられい」
政宗「承知仕りました」
三成「奥州仕置奉行浅野長政並びに陣代蒲生氏郷の書状によれば、その方関白殿下に逆心を抱き大崎葛西の不埒者を煽動し一揆に加担したる疑い顕著。返答や如何に」
政宗「謹んで言上仕りまする。政宗に逆心ありとは心外に耐えぬ申し分。蒲生殿は慣れぬ雪国の戦ゆえ不安のあまり見えざる物を見、白きを黒と断じたのではござりますまいか」
三成「何じゃと」
政宗「古(いにしえ)には、水鳥の群騒ぐを敵の大軍と聞き違え、驚き怯えて退却致した武将もございまする」
三成「蒲生が怯えたと申すか」
豊臣秀吉「(プッ)」


氏郷の訴えを内心快く思っていなかった秀吉に、政宗の先制パンチが上手くツボりました。
さらに、密書を見せられても知らぬ存ぜぬで押し通そうとする政宗。
ここで、氏郷が召し出されます。

豊臣秀次「どうじゃ政宗、氏郷の前で申し開きを致してみよ」
政宗「心得ました」
秀次「氏郷は臆病者じゃと申したな」
政宗「御意にござります」
蒲生氏郷「(ムカッ)フ、女々しいぞ政宗」
政宗「蒲生殿、お主は何の恨みあって某に濡れ衣を着せるのか。とくと承りとうござる」
氏郷「濡れ衣とは笑止千万。おのが胸に手を当ててみれば宜しかろう」
政宗「政宗の胸中一点の曇りもござらん」
氏郷「この期に及んでの悪あがきは見苦しい限り。密書が表沙汰となりたる以上事は終わったと覚悟せよ」
政宗「哀れなるかな。偽の密書を掴んではしゃぐとは早計。蒲生殿とは思えぬ失態」
氏郷「…失態か、どうか」


氏郷から政宗の真筆が記された起請文が証拠物件として提出されます。
これを秀吉が自ら密書と見比べ、同じ手に相違ないと断言しました。
攻守逆転。

三成「これにて逆心は明白。もはや問答無用」

警護の武士が立ち上がります。
最早これまでか。
それを救ったのは小十郎と家康でした。

片倉小十郎「恐れながら、申したき儀がございまする」
家康「静まれ」


警護の武士が座り直します。
しかし、小十郎の弁明も秀吉には通じず、形勢逆転はなりません。

秀吉「如何様に見ても同じ手じゃ。政宗の手に相違ない。どうじゃ」

まさに一同が固唾を飲んで見守る中、政宗の口から飛び出たのは誰もが想像すらできなかった台詞でした。

政宗「恐れながら御前にひれ伏して言上仕りまする!何卒、鶺鴒の形をば窶(やつ)した花押をばご覧下さりませ!」
秀吉「…」
政宗「この政宗、予(かね)てよりかかることやあらんと察し、自らの書状には細工を施しておりました!鶺鴒の眼に針の穴を通していた次第にござりまする」
秀吉「!?」
政宗「鶺鴒の眼が空いていればこれまさしく某の手によるもの。閉ざされていれば偽物にござりまする!」
家康「鶺鴒の眼に、針の穴を?」
政宗「とくとご詮議願いとう存じまする」


密書と起請文が両方とも秀吉の手にあるタイミングを見計らい、政宗最後の大博打。
全てを秀吉の器量に委ねました。

そして秀吉も、政宗の大芝居を大芝居でを受け止めます。

秀吉「…ん…おぉこれか。あぁなるほど、こら政宗の申す通り、この起請文の鶺鴒には眼がついておる。この密書にはついておらん」
政宗「!…」
小十郎「…」


ここで氏郷が、二人の芝居心を知ってか知らずか、墓穴を掘ります。

氏郷「針の穴とは片腹痛い。言い逃れのからくりかと存じまする。恐れながら須田伯耆をこれへお召し出しの程を」
秀吉「静まれ。氏郷、政宗の申す通り、この起請文の鶺鴒には眼がついておる。この密書にはついておらん」


大事なコトなので二回言いました。
関白が二回も言えば、まっ黒もまっ白になります。
もう誰も何も言えません。

秀吉「従って政宗の逆心の疑いは晴れた」
氏郷「!…」
秀吉「氏郷、まぁその方も、遠路まかり来た事は大儀であった」
氏郷「!」
秀吉「下がってよい」
氏郷「…」
秀吉「下がれ」


これは氏郷、カワイソス。
そして、書状を二通とも持ったまま大儀そうに腰を延ばして立ち上がる秀吉。
名演技、お疲れさまでした。

それにしても、秀吉退室後、家康が政宗に言った一言
「腹の具合はどうかな?」
を政宗はどう捉えたのでしょうか?

「良心の呵責で、さぞかし胃が痛んだろう?」
「氏郷毒殺未遂の時のように、都合が悪くなると腹痛になるのではなかったか?」
「胸中は一点の曇りもないと言うが、さて腹の中はどうかな?」

全てを見透かしていたが黙っていてやったぞという家康でした。

政宗「!…かたじけのうござる」

また、事後、氏郷とのやり取りも、決して本音を明かさない政宗ならではの名台詞でした。

氏郷「巧みに切り抜けたな。わしは騙されぬぞ」
政宗「某の目をご覧下され。左が本物、右が偽物でござる」


騙し合いではお前ごときには負けんぞ、ですかね。

ああー、面白い。

さてさて、
ここまでの展開がサッパリ解らないという取り残された視聴者達のために、お三方が解説をしてくださいました。

施薬院全宗「うーん、些か合点が参りませぬが」
家康「はははは」
稲場是常坊「左様、あれでは御詮議を尽くしたとは申せません」
家康「ふふふふ、殿下は政宗の陰謀を知りながら命をお助けになったのではないかなぁ」
是常坊「えぇ!」
全宗「いやぁ、こは如何に」
家康「政宗の謀反の密書、本物に違いない。が、殿下の御下命を受けるや逃げも隠れもせず堂々と馳せ参じた」
是常坊「なるほど。殿下の御前にて悪びれずに些かも言い澱むことなく弁明鮮やかなることまさに不敵。いや、こら殿下は政宗の器量を愛でられたに違いない」
全宗「ううむ、政宗を討って奥羽にいざこざを招く暇はない。むしろ赦して働かせるに限る。と見たがどうじゃ」
是常坊「ご卓見」
家康「だから、殿下のご器量は政宗の百倍も大きい」


どこまでも行き届いた大河ドラマですこと。

以下はおまけ。

秀吉「わはははは、金の磔柱じゃと。はははは、そりゃ呆れ返って物も言えんわ」
是常坊「洛中洛外その噂で持ちきりと申します」
豊臣秀次「金とはまた豪勢じゃの」
是常坊「さぞ重たかったろうに」
政宗「檜の柱に金箔を貼り申した」
秀次「こやつめ」
全宗「都人を見事に謀ったな」
秀次「殿下を磔にするつもりか、ははは」
一同「…」
政宗「滅相もござりません。進んで臣下の礼を取り御意に叶わざれば磔をも辞さぬ覚悟にござりました」
三成「虚仮威しのつもりか」
政宗「趣向にござりまする」
三成「ならば金箔を施すというのは傲慢無礼ではないか」
政宗「政宗ほどの者が火付盗賊同様に白木の柱で果てるのは如何なものでござりましょうか」
家康「…」
三成「(ブッ)ますますもって奢った物言い」


奥田さん、笑ってる笑ってる。

秀吉「三成、その方政宗の風流がわからんのか」
三成「は、いやぁ」


石田さん、わかってるわかってる。

秀吉「道中疲れたであろう。茶を取らせるぞ」
政宗「恐れ入りまする」
秀吉「風流には風流を以て報いてやらねばならぬのう」
政宗「有難き幸せ」
秀吉「はははは、その方小田原で千利休と会い損なったそうじゃの」
政宗「は」
秀吉「ん、よし、此度は利休の手前を取らせるぞ」
政宗「!」
秀吉「どうじゃ」
政宗「はは、有難き幸せに存じまする」
三成「…」
家康「…」


秀吉と利休との関係が既に悪化しているのを知る二人は思惑有り気です。

是常坊「いやぁ、最早京で伊達の名前を知らぬ者はあるまい」
全宗「金の磔柱を担いで都大路を歩かれてはのう」
秀次「京の女子は皆政宗に持って行かれるぞ。虎潜丸がいくらあっても足らんのう政宗」
一同「はははは」


秀次、ようやくギャグが受けました。下ネタですけどね。

※蒲生氏郷(がもううじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。会津においては、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。7層の天守を有するこの城は鶴ヶ城と名付けられた。また、旧領の日野・松阪の商人の招聘、定期市の開設、楽市楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築いた。伊達政宗と度々対立しながらも、天正19年(1591年)の大崎・葛西一揆、九戸政実の乱を制圧。同年12月、従三位参議に任じられた。文禄元年(1592年)の文禄の役では、肥前名護屋へと出陣している。この陣中にて体調を崩した氏郷は文禄2年(1593年)11月に会津に帰国したが病状が悪化し、文禄3年(1594年)春に養生のために京都に上洛。文禄4年(1595年)2月7日、伏見の蒲生屋敷において、病死した。享年40。蒲生家の家督は嫡子の秀行が継いだが、家内不穏の動きから宇都宮に移され12万石に減封された(会津にはやはり伊達政宗に対抗させる目的で上杉景勝が入った)。氏郷は伊達政宗と仲が悪く、二人に関するいろんな逸話が残されている。(Wikipediaより)