『独眼竜政宗』第23回「小田原へ」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

実の母と実の弟。
あまりにも大きな犠牲によって内紛を収めた政宗、いよいよ小田原参陣です。
ところが、事はそう簡単ではありません。
こういう事情もきっちり描いてくれるのが嬉しいところです。

片倉小十郎「そなたも知ってのとおり、小田原へのご出馬はわしが率先してご進言申した。従って殿にもしもの事があれば万死をもってお詫びせねばならん。その時はそなたも左門を道連れに自害して相果てよ」

妻子も同罪?
さらっと酷いことを言う小十郎はいつも家族には厳しいっス。
蔦さん、カワイソス。

蔦「…」
小十郎「命が惜しいのではあるまいな」
蔦「滅相もない」
小十郎「左門が憐れか」
蔦「いいえ」


このへんが、現代の価値観と俳優が所属するプロダクションの意向をふんだんに盛り込んだ最近の大河とは違うところです。

蔦「私にはお殿様のお心が解りかねます」
小十郎「何度も申したではないか。ご舎弟のお手討ちは家中の反乱を防ぐためじゃ。現に不心得者の一派は手の平を返すが如く恭順ぶりを表しておる」
蔦「ならばなぜあなた様のご進言どおり早急にご出馬なさらないのでございますか。いえ、一旦は南会津までお越しになりながら、気後れして引き返すとは」
小十郎「気後れなされたのではない。先日のご出馬は初手からの模様見じゃ」
蔦「模様見?」
小十郎「小田原へは最上も佐竹も未だに参陣せず、伊達の動きを探っておる。そこで殿が参陣の気配を示せば近隣諸国はどう動くか。なかんずくお東様を追放された最上は国境を越えて攻め込んで来はせぬか。試みに軍勢を出して偵察なされたまでのことよ」
蔦「…」
小十郎「殿は大胆にして細心。断じて凡庸の武将ではない。今は領内の安定と国境の警備にお心を配りながら、ご出馬の時期をじっと図っておいでじゃ」
蔦「申し訳ございません。お許しくださりませ」


蔦さん、立派です。
言うべきは言い、控えるべきは控える。
それでこそ伊達家の参謀(軍師)を務める片倉家の妻女です。
黒田ファミリーの能天気な出しゃばり母さんとは大違い。

片倉左門「ちちうえ」
小十郎「おお左門、まだ起きておったのか。さ、参れ」


左門ちゃん、きちんと座ってお辞儀ができて偉いね。
黒田ファミリーのガキんちょどもとは大違い。

その後、政宗と小十郎は、小田原での関白対策をさらに練り上げていたようです。

政宗「留守居の陣立ては決まったか」
伊達成実「されば仰せのとおり、会津へは某の家臣を残らず召し連れて参る所存」
政宗「二本松の用心はどうする」
鬼庭綱元「大内定綱を置きまする」
政宗「定綱は不都合じゃ。西尾太左衛門と大枝尾張がいい」
成実「は?」
小十郎「殿は定綱に小田原への随行を命じられました」
原田左馬助「これは異な事を承る。譜代の家臣を差し置いて定綱とは」
小十郎「定綱だけではない。片平親綱、青木修理、猪苗代盛国、その他会津、二階堂のおもだった旧臣も召し連れて行く」
綱元「合点がいかぬ。何故に新参者を」
政宗「判らんのか。関白に葦名討伐の申し開きを致す折り、然るべき証人が必要じゃ」
鈴木重信「なるほど」
綱元「何がなるほどだ。途中で寝返ったら如何致す。元はいずれも敵方の武将ではないか」
小十郎「懸念は無用。随行は本人のみにて家臣は残す。妻子は無論人質じゃ」
重信「なるほどなるほど、なるほど」
政宗「ところで重信」
重信「はっ」
政宗「俺の茶の手前はどうだ。秀吉と比べて上か、下か」
重信「恐れながら、殿はかく申す鈴木重信があらん限りの秘伝を伝授申し上げました。関白のお手前に些かも遜色ございません」
左馬助「ほう、重信は関白の茶に呼ばれた事があるのか」
重信「はい、憚りながら北野社の大茶会に馳せ参じました」
成実「あれは大仰な虚仮威しに過ぎん」
重信「いえいえ、前代未聞の催し物にござりました。茶の湯執心においては町衆、若党、百姓といえども苦しからずと仰せられ凡そ千五百の茶屋が建ち並び申した」
左馬助「!千五百」
成実「有象無象を集めただけだ。はははは」
重信「関白様は惜し気もなくご自慢の茶道具を展覧され大層ご満悦の様子にござりました」
成実「成り上がり者の見せびらかしよ」
重信「茶の湯は武将の嗜みでござる」
成実「戦の役には立たん!」
政宗「そうでもなかろう」
成実「は?」
政宗「俺も秘蔵の茶道具を持参致す」
成実「殿、此度は物見遊山ではございませんぞ」
政宗「心得ておる」
重信「なるほどなるほど、なるほどぉ」


茶の湯を武器に秀吉と渡り合おうという作戦ですね。

政宗が選んだ小田原へのルートは、なんと会津から米沢、そして山形を経由して越後、信濃へ向かう迂回ルートでした。

米沢にて。

留守政景「お東の方はやはり山形城にあって義光の庇護を受けておられる。髪を下ろされて今では保春院と呼ばれておるそうな」
政宗「叔父上、その話はご容赦願いたい。もはや母でもなく子でもない」


いやいやそんな簡単に思い切れるものではありません。
猫御前の流産を知ってあれだけ落ち込んだのも、また血の繋がる者を殺めてしまったという慚愧の思いがよみがえったからだと思います。

さて、
漸く小田原に到着したものの、箱根山中の底倉という湯治場へ押し込められてしまった政宗一行。

そこを訪れたのは、

加賀中将前田利家
浅野弾正長政
前田民部卿玄以
施薬院全宗
式部右兵衛入道稲葉是常坊

いずれもメジャー級の戦国武将たちでした。

浅野長政「伊達殿、面を上げられよ」
政宗「は。此れに控えまするは奥州探題、伊達藤次郎政宗にござります。かねがねご高名を承るお歴々様に親しく拝顔の栄を賜りましたる段、真に恐悦至極に存じ上げます」
前田利家「遠路大儀にござった。底倉の居心地は如何かな」
政宗「有り難きご配慮、甚だ結構かと存じ上げまする」
全宗「さて伊達殿、我等は関白秀吉公の定使としてまかり越した」
政宗「はは」
全宋「まず、著しく参陣の遅れたる理由や如何に」
政宗「されば関東には未だに北条と与し我等の行路を妨げる諸国あり。心ならずも越後より信濃路に迂回仕った次第にござります」
玄以「此度の遅参のみならず関白殿下には長きに渡って伊達殿が御礼申し上げざるをご不興に存じておられる」
是常坊「何故に上洛して御礼を申し上げなんだ。とくと承る」
(この場合の御礼とは、臣下としての服従を表明する挨拶のことである)
政宗「仰せの趣き、ご尤も至極かと存じ奉ります。本来なれば真っ先に上洛致し関白殿下に御礼申し上ぐべきところ、奥羽各地には先年より合戦が相続きました。我等奥州探題の家柄なれば粗略なきよう此れを取り鎮めるに専心致し、よって上洛仕る隙を得ずかくのごとき仕儀と相成りました」
玄以「会津を攻め取り黒川に居城を移したる理由や如何に」
政宗「遡れば天正十三年、仙道に大内備前定綱なる者あり。先祖より私家中にござりましたが、逆臣して会津に奉公致しましたるにつきこれを退治仕りました。そのみぎり、不慮の成り行きを以て拙者の父が相果て申したるにつき、二本松をも退治仕りました。さてその折り、会津の葦名義広は佐竹義重、岩城常隆とともに合戦を仕掛けて参りました故、已む無く此れに応じ結局は会津をも切り取った次第にござります。大内定綱は降参して我等へ奉公と相成りましたれば、此度は証人として随行を命じました。ご不審の段あらばお尋ねの程願わしゅう存じまする」
長政「重ねて問い申す」
政宗「はは」
長政「山形の最上義光は母方の叔父であったの」
政宗「いかにも」
長政「敵対しおるは何故じゃ」
政宗「されば義光は、我等が家臣鮎貝藤太郎宗信を手懐け謀反を起こさせました」
利家「相馬とも事切れ致しておろう」
政宗「相馬義胤は、拙者が姑田村清顕が死後その所領を侵そうと企みました」
利家「大崎はどうじゃ」
政宗「国境の揉め事にて弓矢を構えました」
是常坊「はてさて、佐竹、会津、岩城、最上、相馬、大崎。四周皆敵とは尋常ならず」
政宗「いずれも先方より仕掛けて参った次第にござりまする」
玄以「伊達殿にも責任があろう!」
政宗「これは異な事を承る」
小十郎「!殿」
政宗「…」


小十郎グッジョブ。
蔦さんと左門ちゃんを自害させたくはないですもんね。

全宗「伊達殿」
政宗「は」
是常坊「此度の陣は北条との戦が眼目。百騎とは些か小勢に過ぎはしまいか?」
政宗「されど我等が全軍を率いて出馬致しますれば不埒者がこぞって奥羽を荒らしましょう。後日、関白殿下の御手を煩わす事のなきよう、地ならしの為に軍勢を残しました」
是常坊「地ならしとな」
利家「ならば伊達殿は会津を関白殿下に返上すると言わっしゃるのか」
政宗「返上?」
利家「お答えなされい!」
政宗「…恐れながら、その前にお訊ね致したい。殿下此度のご東征は勅命によるものと承りましたが」
長政「いかにも。勅命を仰いでのご出陣でござる」
政宗「然らば返上ではござらん。お引渡しでござります」
利家「何?」
政宗「伊達家は元来尊皇の家柄。会津を地ならし致したる所以は外でもござりませぬ。勅命を帯びた関白殿下をつつがなくお迎え致さんが為でございます。従って返上ではなくお引渡しと申し上げるが至当かと存じまする」
利家「っふふ、はははは、一本取られたか。はははは」
長政「相解った。伊達殿の神妙なる申し状、そのまま殿下にお取次ぎ申そう」
政宗「かたじけのう存じまする」


政宗は全国デビュー一回戦を無事合格点で通過しました。

続いてダブルヘッダー二回戦。
夜になってから政宗は徳川家康の陣所に呼び出されます。

結城秀康「父上」
徳川家康「ん」
秀康「奥州の暴れん坊を連れて参りました」
徳川家康「ん、此れへ」
秀康「政宗殿!」
政宗「は」


利家らの尋問とは異なり非公式の会談なので、小十郎は同席できません。

政宗「御拝顔の栄に浴し恭悦に存じまする。某、伊達藤次郎政宗にござりまする」
家康「家康じゃ。よう参られた」
政宗「此度は我等に越後、信濃、甲斐の国々をつつがなく通過せしむるべくご高配を賜り、かたじけのうござりました」
秀康「何故にそのような遠回りを?」
家康「早う来れば首級が飛ぶ。関白殿に怒りを鎮めるには手間がかかる」
政宗「恐れ入りました」
家康「が、まだ助かった訳ではない」
政宗「は?」
家康「伊達殿はその若さで大した切れ者らしい。浅野長政殿も前田利家殿もそなたの弁明の鮮やかさに舌を巻いて、流石奥州の独眼竜だと感心をしておったそうな」
政宗「汗顔の至りにござる」
家康「が、関白殿は並の人物に非ず。そなたの利発に任せて滔々と存念を申し述べるは考え物じゃ。例え理屈は通っても命を失うては元の子もあるまい。程々に…ほどほどに」
政宗「有り難きお言葉、胆に銘じまする」
家康「関白殿はな、ことのほか風流の道にご執心じゃ。此度も陣所に能役者、連歌師、茶の湯宗匠などを呼び寄せ天衣無縫に遊んでおられる」
政宗「漏れ聞くところによりますれば、かの高名なる千利休殿もおいでとか」
家康「いかにも」
政宗「卒爾ながら政宗、草深き田舎育ち故、都人の茶の手前を確とこの目に見定めたく存じておりました。もし利休殿に親しく手ほどきを願えれば此の世に思い残す事はござりませぬ。この儀、家康殿よりお執り成しの程願い上げとう存じまする」
家康「殊勝な物言いじゃ。考えておこう」
政宗「痛み入りまする」
家康「が、それでは足りぬ」
政宗「!?」


重信を感心させた茶の湯作戦でしたが、家康にはあっさりダメ出しを食いました。

家康「そなたの首を繋ぎとめるには今ひとつ、奇抜な趣向が欲しい」
政宗「奇抜な趣向と申しますると」
家康「例えば頓知、例えば進物。関白殿は長陣にて些か退屈をしておいでじゃ」
秀康「田舎大名の手並み拝見じゃ。後は時の運よ。御目見えのみぎり関白殿下の虫の居所が良いか悪いか」
政宗「ご助言、有り難く拝聴致しました。…さりながら政宗、些か腑に落ちぬ儀がござる」
家康「なんなりと」
政宗「家康殿はかねてより伊達に格別のご厚誼をお寄せ下さりました。此度もまたご配慮の段ひとかたならず。恐れながら、かくあるは何故なりやと」
家康「なるほど。この家康の魂胆が読めず薄気味悪いと申すか」
政宗「いや決して」
家康「はははは。わしはな、些か戦に飽き飽きしておる。お主の首級を取れば、否が応でも奥州でひと合戦あろう。若いうちは功名心に煽られ何がなんでも相手を討ち滅ぼそうとする。が、年を重ねるとな、他に手立てはないかと考える。戦は多くの人命を失い民百姓を困窮に追い込む。そもそも兵法の第一は戦わずして服属させることじゃ」


政宗、白家康の説教にちょっと眠そうです。
まだ若いですし、それが家康の本音とも思えませんしね。

家康「出来得べくんば小田原も速やかに城を開き降伏する事を勧めたい。なんせ北条氏直はわしの娘婿じゃ」
政宗「御心中、お察し申し上げます」
家康「そなたも出陣の際、実の弟を成敗したそうな。心中、忸怩たるぬものがあろうの」
政宗「…」
家康「痛ましいことよのう」
政宗「…」


さあいよいよ関白秀吉との決戦です。

是常坊「伊達政宗殿、まかり越しました」
家康「おぉ、おお。此れへ」
是常坊「通せ。先ずは伊達殿の風体をごろうじろ」
家康「!…」
政宗「政宗参上仕りました。宜しくお引き回しの程を」
利家「なんじゃ、その身拵えは」
長政「死に装束ではないか」
政宗「されば、関白殿下のご存分に従う覚悟にござりまする」
家康「はははは」
利家「家康殿、笑いごとではあるまい」
是常坊「殿下を愚弄致すにも程がある」
長政「早急に衣服を替えられよ」
家康「いやいや、待て待て。これも一興じゃ。奥州随一の大名が死に装束でご対面とは面白い」
長政「その場で打ち首と相なりまするぞ」
政宗「もとより承知。政宗の心中、一点の曇りもござりませぬ」
家康「では、家康が案内致そう。殿下は普請場にてお待ちじゃ」


うーん。この後の展開がわかっていてもワクワクしますね。