『八重の桜』第34回「帰ってきた男」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

今回は、おんな一代記のなれそめエピソードを優先して、
ヒストラマの方は一服

…してもらっては困ります!
それでは大河ドラマではありません!

時代の流れはいっときたりとも止まっていませんから。

それはそれとして、

この時代、
欧米の兵器や軍隊組織を取り入れた代償として、
多くの武士や士族の命が失われたことは、

後(のち)の此の国にとって、
良かったのでしょうか?悪かったのでしょうか?

それは、
武士の魂が、果たしてどれだけ軍人に受け継がれたのか?

そこがポイントになるのでしょう。

※佐賀の乱は、1874年(明治7年)2月に江藤新平・島義勇(しまよしたけ)らをリーダーとして佐賀で起こった明治政府に対する士族反乱の一つである言う。佐賀の役、佐賀戦争ともいう。征韓論問題で下野した前参議江藤新平を擁する中島鼎蔵などの征韓党と、前侍従・秋田県権令島義勇、副島義高らを擁する憂国党による旧佐賀藩士を中心とした反乱であり、以後続発する士族による乱の嚆矢となった。乱を率いた江藤と島は、そもそも不平士族をなだめるために佐賀へ向かったのだが、政府の強硬な対応もあり決起することとなった。しかし、征韓党と憂国党はもともと国家観や文明観の異なる党派であったため、協力して行動することは少なかった。また、戊辰戦争の際に出羽の戦線で参謀として名をはせた前山清一郎を中心とする中立党の佐賀士族が政府軍に協力したほか、武雄領主鍋島茂昌など反乱に同調しないものも多く、江藤らの目論んだ「佐賀が決起すれば薩摩の西郷など各地の不平士族が続々と後に続くはず」という考えは藩内ですら実現しなかった。薩摩や長州など諸藩の武士で構成された部隊が官軍を編成した戊辰戦争と違い、1873年(明治6年)に制定された徴兵令による国民軍が軍隊を編成して初めての大規模な内戦である。蒸気船による迅速な行軍や電信技術なども使用した政府の素早い対応もあり、激戦の末に鎮圧された。徴兵による鎮台兵が武士たちとも互角に渡り合えることを示した。捕らえられた江藤は東京での裁判を望んだが、兵権を握る内務卿大久保利通は急遽設置した臨時裁判所において、権大判事河野敏鎌に審議を行わせた。わずか2日間の審議で11名が4月13日の判決当日に斬首となり、江藤と島は梟首にされた。(Wikipediaより)