『八重の桜』第32回「兄の見取り図」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

ジモト新聞「週間テレビガイド」の記事によりますと、
山本覚馬の後妻・時栄役の女優さんが次のように語っています。

「献身的な妻への憧れのようなものもあったのですが、
今回演じてみたらどんどんつらくなっていきました。
現場にいても楽しいといえる状況じゃなかったんです。
(中略)悲愴感の方が多かったですね。」


時栄ってそんなに悪者じゃないだろう。
“あんな”酷い目にあわせなくてもいいのに。
・・・というのは男の理屈ですね。

それはさておき、

五百円札の岩倉具視は断髪姿でしたが、
岩倉施設団では当初、髷(まげ)を結って渡米していたそうです。

ちなみに、岩倉さんのそれは公家の結髪「冠下髻(かんむりしたのもとどり):平安時代から現代の宮廷行事まで続く男性貴族の髪型。別名:一髻(ひとつもとどり)」でした。

ついでに言えば、「ちょんまげ(丁髷、ゝ髷)」というのは、数ある髷の一つに過ぎません。
大相撲の関取が結っているのは「大銀杏(おおいちょう)」です。

※岩倉使節団とは、明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣した大使節団である。岩倉具視を正使とし、政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。使節46名、随員18名、留学生43名。使節は薩長中心、書記官などは旧幕臣から選ばれた。留学生には山川捨松など女性5人が含まれる。横浜港を船で出発し、太平洋を渡り、サンフランシスコに上陸。大陸を横断しワシントンD.C.を訪問した。アメリカには約8か月もの長期滞在となる。途中から新島襄が参加し通訳を務める。ヨーロッパでの訪問国は、イギリス(4か月)、フランス(2か月)、ベルギー、オランダ、ドイツ(3週間)、ロシア(2週間)、デンマーク、スウェーデン、イタリア、オーストリア(ウィーン万国博覧会を視察)、スイスの12か国に上る。帰途は、地中海からスエズ運河を通過し、紅海を経てアジア各地にあるヨーロッパ諸国の植民地(セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海等)への訪問も行われた。出発から1年10か月後に同じ横浜港に帰着した。元々大隈重信の発案による小規模な使節団を派遣する予定であったが、政治的思惑などから大規模なものとなる。政府のトップが長期間政府を離れ外遊するというのは異例であるが、直に西洋文明や思想に触れたという経験が彼らに与えた影響は評価される。留学生も帰国後に政治、経済、教育、文化など様々な分野で活躍し、日本の文明開化に大きく貢献した。しかし一方では権限を越えて条約改正交渉を行おうとしたことによる留守政府との摩擦、外遊期間の大幅な延長、木戸と大久保の不仲などの政治的な問題を引き起こし、当時「条約は結び損い金は捨て 世間へ大使何と岩倉」と狂歌にされた。使節団のほとんどは断髪・洋装であったが、岩倉は髷と和服で渡航した。この姿はアメリカの新聞の挿絵にも残っている。アメリカに留学していた子の岩倉具定らに「未開の国と侮りを受ける」と説得され、シカゴで断髪。以後は洋装に改めた。
端屈記
左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通
(Wikipediaより)