『八重の桜』第12回「蛤御門の戦い」感想 | のぼこの庵

のぼこの庵

大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

「嫌でござります」
一昨年さんざん聞かされた“嫌な”台詞を吐いていた主人公はおいといて、
合戦シーンは、まずまずの迫力でした。

刀での切り合いや弓矢の射ち合いならともかく、鉄砲や大砲での戦を、
スタジオ内で、それも限られた数の出演者で作ったものなので、
ロケやCGを駆使したものに比べれば見劣りするのは否めませんが

それでも発砲や爆破シーンも多く、頑張って作られていたと思います。
合戦のシーンに限って言えば、大河ドラマとして合格点でした。

ただ、
最後のお救い小屋の場面で一気に時代劇化してしまい、
安っぽくなってしまったのが残念でした。

せめて、
「なぜ鬼と言われるのか?」を見せてくれれば、深くなったのに。

はい、
それでは善悪の前提が崩れてしまうんですよね。

※「どんどん焼け」とは、禁門の変(蛤御門の変)にともない元治元年7月18日(1864年8月19日)に京都で発生した火災の通称。手の施しようもなく見る間にどんどん焼け広がったさまから、また市街戦で鉄砲や大砲の音が鳴り響いたことから「どんどん焼け」の名がついた。長州藩邸付近と堺町御門付近から出火した火の手は北東の風により延焼し、広い範囲に広がり、約2万7000世帯を焼失した。焼失町数811町(全町数1459)、焼失戸数49,414軒(全戸数27,517軒)、人的被害は負傷者744名、死者340名を記録した。二条城や幕府関係の施設に被害はなかった。なお戦闘自体による人的被害は長州側281名、会津薩摩側101名であった。従来は長州兵が撤退時に長州藩邸を放火したことが原因とされていたが、敗残兵が逃げ込んだ鷹司邸や民家が一橋慶喜、会津藩兵、新選組らの砲撃により炎上しその火が延焼した可能性も浮上している。町民からは「大火は、会津藩が長州残党を狩り出すため不必要におこなった放火が原因だ」との感情が強く、評判の悪い会津と新選組が原因扱いされていたとの指摘があり、「長州は朝敵にあらず 会桑こそ町敵なり」という当時の京都住人も見られる。一方、長州藩に対しては恨む声よりも同情する声が強まった。京都御苑自体は焼失を免れたが、市中が荒廃しきったため、明治天皇が東京に行幸する動機の1つとなったとされる。同時に勤皇派に協力的な勢力への弾圧が行われ東本願寺、本能寺など多くの寺院も焼失した。(Wikipediaより)