『八重の桜』第11回「守護職を討て!」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

今週も主人公周辺のラブロマンスや熱血はおいといて、

佐久間象山の暗殺シーンは、もう少し何とかならなかったものでしょうか。
時代劇臭くて安っぽい印象でした。

それに、主人公サイドの盗み聞きシーンが二回あったことも関心しません。

やっぱり、あの時代を善悪で色分けしようとするから、大河ドラマらしくなくなるのだと思います。

来週も期待薄ですね。

おっと、期待せずにぼんやり見るんでした。

※一会桑政権(いちかいそうせいけん)は、幕末の政治動向の中心地京都において、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ 禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮)、松平容保(まつだいらかたもり 京都守護職・会津藩主)、松平定敬(まつだいらさだあき 京都所司代・桑名藩主)の三者により構成された政治体制。この体制は尊皇攘夷派・長州藩への対抗を通じて形成され、八月十八日の政変(1863年(文久3年))以降尊攘派が退潮し、さらに公武合体論に基づく有力諸侯による参預会議が崩壊(1864年(元治元年))したのち、概ね慶喜の将軍職就任(1866年(慶応2年)12月)までの京都政局において支配的な位置を占めた。薩長同盟(1866年(慶応2年)1月)はこれへの対抗から形成されたものである。一会桑政権は江戸の幕閣と一定の距離を置きつつ朝廷上層部と癒着し、諸藩の国政参加を極力排除して朝廷を独占し、国政の指導的地位を確立することをその基本的な性格としていた。中でも会津藩は、朝廷・幕府間のパイプ役であり、軍事的な面からも「一会桑」の中核であった。会津藩は、一貫して西南雄藩の国政参加を阻止したことにより、雄藩とりわけ薩摩藩との対立を深めた。このことが、のちに明治新政府から排除されるなど戊辰戦争の遠因となった。(Wikipediaより)