『平清盛』第23回「叔父を斬る」感想 | のぼこの庵

のぼこの庵

大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

「最後の頼みすら聞けぬ者が、われらの父を父上と呼ぶでない。」

男を簡単に泣かせすぎです。

男が泣いていいのは、母親が死んだ時と
財布を無くした時だけだと決まっているのですから。

それでも、ウソ泣き成親は別にして、
源義朝、平清盛、そして信西それぞれの涙には、
それぞれの意味があったように思います。

処刑場での義朝の涙は、
かつて「強うなって、きっと父上をお守りいたします。」と言明し、とっくに父越えを果たしていたつもりだったのに、実は、父の優しさに包まれた甘えん坊だったと気づいたことによる「赤子の涙」だと思います。

朝廷での清盛の涙は、
これはもう、敗者の「悔し涙」です。
泣くな男だろ。

そして信西の涙は、
難しい所ですが、魑魅魍魎に魂を乗っ取られた信西が元来持っていた純粋な部分が、涙になって出てきた「断末魔の涙」だと、私は解釈します。

ところで、
滋子が一瞬、江に見えたのは私だけ?
よく言った時子。

※源頼賢(みなもとのよりかた、生年未詳 - 1156年)は、平安時代末期の河内源氏の武将。源為義の四男。同母弟に源頼仲・源為宗がいる。左衛門尉。次兄・義賢と仲がよく、父子の盟約を交わしたと言われる。1155年、義賢が甥・義平に討ち取られると、その復仇を果たすべく信濃国に下向、鳥羽法皇領を侵犯する。これを知った法皇は、義平の父で頼賢の長兄にあたる義朝に対して、頼賢追討の院宣を下す。これにより、河内源氏一族内に緊張が高まったが、直前で義朝は頼賢追討を回避、頼賢もほどなく帰京した。保元の乱では為義に従い、崇徳上皇・藤原頼長方として活躍。義朝軍を相手に奮闘する様が『保元物語』に活写されている。崇徳上皇方の敗北に伴い、乱の後捕らえられ、義朝の手によって船岡山において斬首された。(Wikipedia)