『江~姫たちの戦国~』第18回「恋しくて」感想 | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

私はたびたびこのブログで、
今年の大河ドラマを批判、
というより、いかにキライかを書いています。

こんなのは素人の感想でしかありません。

TV番組の感想なんぞ、お好みで、自分の感性で、
私でも誰でも、好き勝手に意見が言えます。

ですが制作者側の自己評価は自信たっぷりです。
高い視聴率に支えられて、「視聴者には好評だ」と。
史実と違いすぎるとの指摘には、「ドラマですからね」と。

メディアの番組紹介も「絶賛放映中」的ヨイショ記事が多いようです。

批評を乗せた記事もありますが、それらは「視聴者の声が分かれている」といった程度の内容で、読み応えのあるものではありません。

ところが最近、某新聞に
長年にわたって時代劇とエンターテイメントに関わり続けたその道の第一人者による批評の記事が載りました。

「歴史劇」か「時代劇」か…大河ドラマ「江」目立つ違和感(一部引用)

まず、時代劇と歴史劇はどう違うのか。ドラマだからフィクションが含まれるのは当然だが、史実から大きく逸脱しないのを歴史劇、架空の人物や事柄が登場し史実にとらわれずに描くのを時代劇と山内さんは区別する。

たとえば、「暴れん坊将軍」で松平健がパカッパカッと音を立てて白馬を駆るのは江戸時代に金属製蹄鉄(ていてつ)はないから間違い。「水戸黄門」も水戸光圀は水戸と江戸を往復しただけで諸国へ行っておらず創作で、2作品とも時代劇だ。

昔ふうの時代劇の形を破り、現代感覚で「必殺」を描いた山内さんは、「時代劇というのは庶民の共同幻想であり、多少のウソは許される」と話す。

NHK大河ドラマはどうか。昭和38年「花の生涯」から始まり、現代人の目線で歴史をみる歴史劇と受け取られていた。なかでも3作目「太閤記」(緒形拳主演)の初回は、新幹線ひかり号が名古屋駅に到着するシーンから映し出し太閤秀吉の出身地を暗示。時代の精神を躍動させた名演出と語り継がれている。

放送中の「江」は、茶々(宮沢りえ)、初(水川あさみ)、江(上野樹里)の三姉妹と、織田信長(豊川悦司)らとの実年齢差の開きすぎや、ヒロイン役の上野の話し方などがさまざま言われているが、加えて山内さんが注文を付けるのは戦国武将の描き方だ。

「柴田勝家は北の庄(福井地方)の経営に成功した名だたる武将なのにコメディードラマの気の小さいパパのようだったし、豊臣秀吉にいたっては気に入った女性を追いかける情けない男、あれではとても天下を取れんでしょう。武将のはなはだしい矮小化(わいしょうか)で、歴史認識の不足。NHKは影響力があり歴史は歴史としてちゃんと見てもらいたい」

なぜこんなふうに描かれてしまうのだろうか。

歴史を少しでも知る脚本家は史実を無視しては書かないが、知らないと現代劇のように自由に描き、時代考証は当時の衣装など風俗チェックはするが時代の精神まではしていない。歴史ドラマというのは時代の精神も描くこと、昨年の「龍馬伝」は良かったが今作は…と山内さんの話は熱を帯びる。

NHKの視聴者層は女性が多く、しばらく前から女性を意識した作り方になったのが遠因とも言われる。

辛口が続いたが、山内さんの本心は大河へのエールである。制作費の高騰やスポンサー難を理由に民放が時代劇からほぼ撤退するなか、「日本の文化である時代ドラマをNHKは継続してほしいんです」。


これがプロの意見でしょう。

プロの意見は、好き嫌いではありません。
物事の本質、存在意義、世の中や顧客に求められるもの、あるべき姿から乖離している問題点、その要因、 改善策 、改善策の実行手順、それらの指摘や提案ができてこそプロの意見でしょう。

誰でもが意見を言える世界でこそ、
プロの意見は貴重です。